他者のエネルギーを入れない

2016.08.21【 人生を歩こう
先に書いた、怒りを掘り下げて隠されていた哀しみを見つけたら楽になった話には続きがあります。

先述の方法で哀しみを抱きしめてその時はすっきりしたものの、しばらくしたらまた同じ感情が戻ってきました。そこで気付いたのです。これは妙だ。おかしい。もしかしたら(戻ってきた分の)これは自分の感情ではないのかもしれない、と。

そこで、腹に力を入れつつこう唱えました。
「私以外のいかなるエネルギーも私の中には入れません。今入っている他者のエネルギーは全て本人に返します」
体の中に入っている他者のエネルギーが外へ飛んでいき、自分のエネルギーは自分の中に取り込むイメージをしました。

あら不思議。これでさっぱりすっきりです。やはり私の物ではありませんでした。

多分ね、兄の感情だったと思うのです。波風立てない選択をした結果、母を貶める行動を取ってしまったことに対する後ろめたさや、自分の母親を愛する妻からないがしろにされた悲しい気持ちなど。心の奥に封じ込め目をそらしているであろう感情の波を、同じ感情に包まれていた近しい私がキャッチしたのでしょう。

いやいや、それも丸ごと背負ってください。それがあなたの選択なのだから。その感情も込みで選んだんでしょ?それが嫌なら違う選択をすればいいだけの話。選択した結果は自分で責任を持たないとね。

これで本当に爽やかになりました。
エネルギーワークを習っている人だったらブロックとかセルフクリーニングとか各種方法があると思います。が、そういう手法を持たずとも上記のような決意(言葉としてしっかり唱えるのがベター)とイメージによって可能になります。もちろんレイキ等のエネルギーを併用すればより効果的でしょう。

※こちらは3連記事その2です。
その1 怒りを掘り下げていくと悲しみに突き当たる
その3 人は自分で自分を罰する

怒りを掘り下げていくと悲しみに突き当たる

2016.08.20【 人生を歩こう
兄嫁が、介護施設に入った母の荷物を全て処分してしまいました。私には内緒で。私に知らせると「おかしい」と言われるから内緒だったのでしょう。
めぼしい物は兄嫁の親戚へあげたそうです。母と縁の深かった人たちではなく。母の部屋もリフォームして兄が使うとかで、あの家に母が暮らした痕跡は完全に消えてしまいました。

まるで死人と同じ扱いなわけですよ。使う言葉のひとつひとつまでもが。母が本当に亡くなった時にはもう、思い出の品を形見分けするどころか遺影にする写真すら残っておりません。

しばらく怒りが収まらなくてね。兄嫁に対してもそうですが、それを止めない兄も共犯です。彼らのしたことは母の存在の抹殺、あるいは姥捨て。ここまで兄嫁を勝手にさせた周囲の親戚も手を貸したのと同じこと。

その怒りがあまりに強く長く自分の中に留まるので、少し掘り下げてみました。

出てきたのは、母の暮らした痕跡がこの世(実家)から消えてしまった悲しみ・寂しさでした。その感情が存在することに対してまず対処しきれていない自分がいました。そして、対処しきれないそれを引き起こした兄夫婦に対して怒りを感じたのです。
また、母親をないがしろにされたことに対するショックも怒りを呼び起こしていました。このショックも、根底にあったのは生きている母の存在を抹消された寂しさでした。

まだ母自身は生きているのにね。一番大切なものはまだそこに在る(生きている)のですよ。そして、自分のしたことは自分に返ってくるのだから私が罰を望まずとも彼らは自分で自分を罰することでしょう。

つまり、兄夫婦の言動にいつまでも怒っている必要はないのです。というか、彼らの言動に振り回される事こそ間違い。あんな人たちのために自分の意識エネルギーを消費することはありません。もったいない。私がすべきは、言うべきことを言ったらあとは、自分の心に生じた(隠されていた)悲しみや寂しさへの対処です。

怒りや憎しみや恨みといった外への感情は、深く掘り下げていけばきっと哀しさや寂しさといった内への感情につながると思います。
そこまで突き止めたら対処のしようも見つかるというもの。もしかしたら自責の念が出てくるかもしれませんがそれも哀しみを根っこにしているはずです。私はかつてレイラの事故でそれを学びました。

怒りの奥に隠された悲しみを見つけてあげましょう。その時には涙がこぼれるかもしれません。しばしその感情をしっかり感じてあげたらすっと楽になります。

※こちらは3連記事その1です。
その2 他者のエネルギーを入れない
その3 人は自分で自分を罰する

食用油を選ぶなら

2015.03.03【 日々の出来事
植物油を選ぶとき、現在一般的となっている有機溶媒による抽出ではなく「圧搾」とか「玉締め」といった昔ながらの手法により抽出された油を選んでいます。有機栽培だけど溶媒抽出、よりは有機栽培じゃないけど圧搾抽出、の方が結果的に体への負担は小さいと思います。

なぜかといえば…。

抽出に使う溶媒はヘキサン。これ、嗅いだことありますか?いや、普通はないでしょうけど私は実験で使ったことがありまして。
ほんのわずか吸っただけで吐き気がしました。頭痛いし気持ち悪いし。普段使っていたクロロホルム(これも有機溶媒)の比じゃない体調の悪さでした。ヘキサンの破壊力恐るべし。

抽出後は溶媒を飛ばして油だけにするから問題ない…とは言い切れません。実際、油の中に極わずかだけど溶媒は残ります。完全に除去することはできないから。
この「極わずか」な溶媒が長年の摂取により人体へどう作用するかは実験していないから分からないんですよね。安全性の確認は例えば、マウスあたりでやったとしてもせいぜい2年程度(ネズミたちよ、ありがとう)。50年摂り続けたらどうなるか、なんて今人体で実証しているようなもの。

実際、有機溶媒を日常的に使う研究者の間ではこんな都市伝説がささやかれていました。
「この世界に長くいると女の子しか生まれなくなる」
男社会だったので精子の話です。男性の性染色体はXY、それゆえ精子にはX染色体を持つものとY染色体を持つものがあります。Xに比べたら元々不安定なYは有機溶媒の影響で精子製造にたどり着けなかったり、できても弱いだろうからX優勢、精子のXと卵子のX(卵子にはXしかない)とでXXの女の子しか生まれないのだろうと言われていました。
女性の生殖器だって大きなダメージを受けるはず。

前にも書きましたが生殖器はダメージを受けやすい場所です。生物は生殖能力や手や足を失ってでも命を守ろうとします。より生命維持に重要な部位を守るためにまず犠牲になるのが生殖器。

戦後に使われ始めた新しい化学物質の安全性というものは長年の経験(人体による実証)による部分が無いだけに、不安なのです。ましてや食べて直接体内に摂り込むものは。
ま、それが分かる頃には私らもう寿命来てるでしょうけど。

というわけで、私は食品に神経質な方ではないですが上記の理由から油脂だけには気を付けています。オリーブ油はエキストラバージンのみ(2番搾り以降は溶媒抽出されている)。ごま油は圧搾油。
外食や市販のスナック菓子に使われる油については諦めてます。大した摂取量じゃないんで。

ついでに言えば合成油脂なんてもっと怖い。マーガリンとか機能性油脂とか。有機溶媒を使っている上に組成をいじってあるわけです。人体に入って長期蓄積されてから何がどう作用するか分からない。危険度ダブル。
本当はバターもホルモン剤等を使わず育てた健康で幸せな牛から作った物を分けてもらいたいところですがこれはここらじゃ手に入らないので仕方ない。年間消費量200gだから市販品で良しとしてます。

考え過ぎるのを止めてみた

2015.01.26【 現実的対処法
何かをするのに、一旦頭の中でシミュレーションしてまとめてから行動していました。
でもね、例えば「車で出るから(雑用の)あれとこれとそれと…」と道筋を考えながらピックアップしていって5つ超えるともうそれだけで疲れちゃって、やる気が失せていたんです。結局出ること自体をやめちゃったり。

よろしくないなと思いました。支障があるって。

で、考えることを止めました。正確には「考えすぎる」ことを。用事はピックアップしますよ。でも、あそこに寄って次はこう通ってここへ…なんてシミュレーションはしない。メモに書くだけでそれ以上はせず、行動を決めたらそこで思考を止める。考えずに行動する。動きながら考える。
おかげでかなり楽になりました。以前はおつかいに出るだけでも一旦頭で考えてから動いていたので2回行くのと同じくらいエネルギー使ってたんですね。考えた段階でもう行って来たのと同じくらい消耗していたのだと気付いた次第です。

いつからシミュレーション後に行動するようになったのかな。海外旅行のプランニングで徹底的にシミュレーションした名残かも。今と違い情報がわずかな中、乗り継ぎとかあれやこれや不確定要素が多かったから練りに練っていたのです。その癖がついてしまったのかもしれません。

確かに行動の目的を定めたり的確なポイントをまとめておくのは大事。だけどそれも常にやる必要はないわけで、通常シミュレーションする必要もありません。ましてや人生の岐路において損得勘定や成功率を考えて足踏みするのは違うと思うのです。本当に考えるべき場面・内容というのは数少ないのでしょう。

行動力があって夢を実現している人というのはまず動いてみる人が多いように感じます。何かをかなえるためにまずやってみて、問題があったら立ち止まり考え、行動を改善してまた動く。そうなりたいと思います。

私みたいに思考優位なタイプはそれを半分に制限するだけでもかなり楽になると思いますよ。止めようと思ってもじっとしていたらいつまでも頭は動いてしまうのでそういう時は、体を動かすのです。まず立ち上がる。上着を着てかばんを持つ。行動が始まると頭を止めることができますよ。

杉花粉症の薬を飲むので

2015.01.15【 現実的対処法
うちには杉花粉症患者が約1名。杉花粉だけじゃないけどね。
例年なら秋が深まる頃から薬を飲み始めるのだけど今年は年明けまでもったとかで(薬膳効果か?)、年明けから花粉症の薬を飲み始めました。

最初はネトル単独から始まった人間用ハーブ。やがて基本のハーブ3種に増え、この秋口にお腹の調子がよろしくないからとマシュウマロウを加え、今度は投薬が始まるからとミルクシスルを加え。それもあまり考えずに混ぜるようになりました。
これは犬のおかげだなぁ。犬用にハーブをブレンドする思考回路と環境があるからこそ気軽に試せるのです。

ペットはこういう飼い主の進化を喜んでくれるんですよ。ペットのために始めたことが結果として人間に還元されていくのを何より喜んでくれます。

5月くらいまではミルクシスル入りのハーブをヨーグルトにかけて食べることになりそうです。私は杉花粉症ではないけど春はデトックスの季節だからちょうどいいかな。

野菜を眺めてグラウンディング

2014.08.13【 現実的対処法
今年は本気でプランター野菜栽培をしていることもあり、朝晩庭へ出るようになりました。うちはやぶ蚊が多いので夏はできれば外へ出たくないのだけど、そういうわけにもいかなくなり、蚊取り線香ぶら下げて野菜を眺めています。

それで気が付いたんですけど気持ちが落ち込んだり傷心状態のとき、野菜を眺めていると落ち着くんですよね…。よろめいていた心が整えられて真っ直ぐ立つような感じ。それで気持ちを切り替えて進むことができます。
おかげで今年は、用もないのに野菜の前でボーっとしている時間が多かったような(^^;

AC講座にて植物のそばで心静かに過ごすことがとても良いのだと教わったのですが確かに、見ているだけでグラウンディングになります。大地に根を張り少しでも育とうとする植物の在り方からくる何かがあるのでしょう。野菜は手をかけて育てているという自覚があるから尚のこと、なのかもしれませんが。

グラウンディング(または地に足付ける暮らし方)が苦手な方は育てやすい植物の種を蒔いてみるといいかも。私の場合はそれが屋外であることにより大きな意義があるみたいだけど。

野菜作りは難しいと思う場面もあるものの、毎日育っていく変わっていく姿を見るのは楽しいです。収穫量と手間ひまと経費を考えたら「Hストアで買った方が安いかも」と思うこともありますが(笑)。

永遠の絶対

2014.07.07【 人生を歩こう
自分が良いと思った物事をあれこれ紹介しています。

でもね、この世は諸行無常。常に流れ移り変わり、変化を遂げています。自分もそれ以外も。昨日良いと思ったものを今日も良いと思うとは限りません。永遠の「絶対」なんて無い。

例えば、私が信頼するAさん。そのAさんが信頼するBさんなら私も信頼できるかも。

そんな方程式は候補を挙げる最初の段階では役に立ちますが最後に決めるのはやはり自分自身の感覚です。かすかな違和感であっても感じたらやめるべきです。
それにAさんがBさんを信頼していたのはどのくらい前なのか考えないと。今でもそうなのかどうか、分かんないですよ。あとは、Aさんに合うものでも他の人に合うとは限らないし、しがらみから信頼しているように見せかけることもありますからね。

というわけで、私が良いと紹介しているものであっても時間と共にその評価は変化しているかもしれません。米国で食べたバーガーキングは涙が出るほど美味しかったけど日本で食べたら普通だった、みたいなね。あ、それは違う?(笑)

私の目が曇っている場合もあります。前にも書いたとおり判断は人任せにせず自分自身で
人であればその思いに共感できる人を、物であれば心惹かれる物を。人は、良くも悪くも、自分の中にあるのと同じものに引き寄せられまた、「共に在る」ものと同質化していくものですから。