ノン・ジャッジメントの精神

ホメオパシーを学ぶ中で「フィルター」の概念と共に「ノン・ジャッジメント」という言葉が出てきます。この2つはセットですね。

事実を事実としてありのままに認識する。ただそれだけ。それが良いか悪いかの裁定を下さない
例えば「この人は子供をうとましいと感じている」それだけが事実であって、それがどうこうではないというもの。
それがノン・ジャッジメントです。良い・悪い、正しい・間違っている、という考えは既にジャッジ(裁定)しているのです。

フィルター解除により個人の考えを除去し、受け取った情報をジャッジすることなく分析することによってホメオパスはより正確に相手の状態を把握し、その人に合った最適なレメディを選ぶことができます。
私はノン・ジャッジメントを実践しているホメオパスに出会えたおかげで、ろくでもない自分の面もセッションで伝えることができました。非難される心配がないからです。

太尾和子さんのHPにあるペネロピー・スミスさんの言葉を翻訳した倫理コードにもこんな言葉があります。
私達は、飼い主の過ちや誤解を裁いたり、非難したり、無価値にしたりせず、むしろその方の変化や調和への欲求を尊重し、私たちに助けを求めてくる人々を尊敬します。
これ、なかなか難しいんですよ…。私はまだまだです。

動物の意見は中立です。誰のことも非難しません。もっとこうすればいいよ、とは言いますが、時には飼い主を叱咤激励することもありますが、それができていない現在を否定するわけではないのです。彼らの言葉はどこまでも温かく優しく力強いもの。

ですが、それを受け取って飼い主に渡すにはコミュニケーターが仲介します。そのコミュニケーターの価値観・物の見方(フィルター)が入ると語調の変換が起こったりします。更にコミュニケーターと飼い主との間で言葉の捉え方がずれる場合もあります。
コミュニケーターに何らかのジャッジメントがあれば、セッション結果が動物の意図から離れてしまいます。実際、動物の言葉ではなくコミュニケーターの意見を伝えているだけのACセッションも存在するようです。

動物の意図を正確に飼い主へ伝えるためには、フィルター解除やノン・ジャッジメントの精神が必要だという理由はこういうことです。

事実を事実のまま受け取る。変わろうとしている、変わりたいと思ってセッションを望んでいる人の思いを尊重し、尊敬する。ACを行う上で常に心掛けていくことのひとつです。ACだけでなく人生にも必要な要素だと思っています。

フィルターを解除する

フィルター(物事の捉え方の傾向)はホメオパシーで学んだ概念ですが、ACであっても日々の人間関係であっても同じことです。

人にはそれぞれ価値観があり、それぞれの物の見方をしますよね。同じ言葉をかけられても受け取る人によってその意味が全く違ってしまうのは、そのためです。
悲観的な人はどんな話もそのフィルターを通して悲観的観測へつなげます。
自己否定が強い人は何を言われても(言われなくても)そのフィルターを通して自己否定へつなげます。
相手が伝えたい意図から全くずれてしまうことがあるのです。

このように個人の偏った意見は事実を歪めて認識させてしまうので、適切なレメディを選ぶためにはそれをしないことがホメオパスには求められます。

ACも同じく。セッションをするにあたっては、自分というフィルターを通してものを見るのだから当然、先入観だって生まれます。歪んだ認識になることもあります。それによって批判的な感情を持つこともあります。ですが、動物と話すのにそれじゃ困りますよね。

だからフィルターはできるだけ色のない状態がいいのです。

とはいえ、全く先入観なしでセッションを行えるまで自分を磨いてある人間って、一体どのくらいいるんでしょう。
大事なのは、ACセッションであればどれが先入観(自分の考え)で、どれが動物の考えなのかの区別がつけられること
そして自分の考えは排除ができること
そのためには、自分は先入観を持っているかもしれないとの認識とチェックする姿勢を持ち続けること

太尾和子さんのHPにあるペネロピー・スミスさんの言葉を翻訳した倫理コードにはこう書かれています。
アニマルコミュニケーションをできるだけ純粋で調和のあるものに保つためには、私達自身も引き続き精神的に成長していくことが必要です。テレパシー・コミュニケーションは、満たされない感情や、批判的な裁き、もしくは自分自身や他者への愛情不足などによって、時に不透明であり、またオーバーラップすることも認識しています。
≪原文:CODE OF ETHICS for INTERSPECIES COMMUNICATORS
Penelope Smith さんのHP Animal Talk より≫
自分を安定させ、己のフィルターそのものを可能な限りクリアにしていくことと同時に、そのフィルターの傾向を知り、事実に色づけされたフィルター由来の色を排除する術を知る。これにより、事実をより正確に認識できるようになる、とても大事なことだと思います。歪んだ認識をしていても適切な対処はできませんからね。

そんな内容も含めて、人間として成長していくことが重要だと思います。優れたコミュニケーターは日々これを実践・努力しているわけです。

え?それじゃ、お前はできてるのかって?
できないから書いてるんですな。あっはっはー。←開き直り

ただね、その人の価値観が入ったら絶対ダメかと言えば、そんなことないと思ってます。人間だから多少の違いはあっても入るんじゃないかな。
だけど、セッションを受ける側は、施術者の考え方も含めて選んでいるわけですよね。だったら、その人のフィルターも一緒に受け取っちゃえばいいのかなと思います。

フィルター解除の方法は多々ありますし、好みも合う合わないもありますので、あれこれ試してみてください。
そのための講座を受けるなら、それを教える講師がどの程度中庸(中立)でいるかを見るといいです。例えば他人の批判ばかりしている人だとすればその手法自体が役に立たないか、講師がそれを使いこなしていないかのどちらかですので、どっちにしてもその人から習ってもあまり効果ないかなと。

特にトレーニングせずとも、中庸であろうと日常生活で心掛けるだけでも効果は出ると思いますよ。
っていうか、それが最終的な目的ですね。日常生活が楽になる→生きやすくなる、ですから。

手助けできるタイミング

昨日、AC講座やセッションの日程紹介をした太尾和子さんのHPにはペネロピー・スミスさんの言葉を翻訳した倫理コードが載っています。その中にこんな言葉があります。
私達は、手助けを頼まれた際にのみ対応します。なぜなら助けを求めてくる人は、問題に対して理解があり、私たちが本当に手助けできるからです。
≪原文:CODE OF ETHICS for INTERSPECIES COMMUNICATORS
Penelope Smith さんのHP Animal Talk より≫
ACを習って最初の半年くらいは、頼まれもしないのにセッションをしたくなるものです(笑)。
ですが、飼い主さんがそれを求めないのに勝手にペットと話すのは絶対NG。ACを学ぶ者として、してはいけないことと強く教えられました。

最大の理由は、勝手にあれこれ話をしてもそれを飼い主さんに伝えられないから。逆に、望んでもないのに勝手にしゃべられて「お宅のペットがこんなこと言ってる」なんて突然言われたら、気分悪いのでは?それがプライベートな内容だったら尚更です。

ペットがなぜ話すかといえば、飼い主にそれを伝えたいからです。伝えたいのは飼い主であってコミュニケーターではありません。そこんとこ、重要です。でも分かってない人もいっぱいいると思います。

飼い主に問題と対峙する意思がなければ、その手段としてACを必要としていなければ、いくら(勝手に)話を聞いても受け取ってもらえません。単なる厚意の押し付けに終わります。それも一生懸命話してくれたペットに気の毒だと思いませんか。

人生の自戒も含めて言うならば、望んでもいないことを「あなたのためよ」と押し付けられるのは迷惑以外の何者でもありません。たとえどんなに有意義でごもっともな内容であったとしても。

しかしながら、自ら求めたことであれば心がそちらを向いていますから、受け止めます。その結果、ペットの言葉が最大の効果を発揮することとなります。
つまり飼い主自らの言葉で「セッションしてほしい」と頼むことが、自発であることが、重要なのです。変化はその瞬間から始まっています。

だから「頼まれた際にのみ」セッションするのですね。飼い主が受け止める覚悟をした時のみ、セッションするのです。これはレイキなどのエネルギーヒーリングでも同じ。

このペネロピー・スミスさんの言葉はどれもこれも重要なエッセンス満載です。少々硬い表現ではありますが、ACを学ぶ方は一度じっくり読んでみてください。
そして、こういう内容を伝えてくれる講師から受講していただきたいと思います。できれば早い時期に。

【追記】
スミスさんのHP、ANIMAL COMMUNICATOR DIRECTORY カリフォルニアの項に太尾さんの名前が入ってますね。アジアは香港に1人か…。