人生をあきらめない

2017.10.10【 人生を歩こう
このブログを読んでいる方の多くに役立つと思うので紹介します。

友人の上原英子さんはアドラー心理学を学びカナダでアートセラピストとして活動しています。年1回は帰国して日本各地で講座を開催。

その英子さん、お父さんが亡くなりお母さんが亡くなり、一人っ子の彼女は血縁という牢獄から解放されました。これはご本人が公言していることでして、同じ境遇にある人の励みになればと公開してくれている情報です。血の呪縛から解放されると人はこんなに軽やかに飛べるのだ、と今の英子さんを見て感じます。


私は幼い頃から慢性的に罵詈雑言を母から浴びせられていました。

何かで感情的になると、私を標的にして怒鳴り散らす。
それは日常茶飯事で、食卓が墓場のように感じられていました。

私は、読んだり聴いたり話したり書いたりする時に用いる
「言葉というもの」がとても氣になります。

それは子どもの頃から文学好きで本の虫だったからだけでなく、
母からの言葉による虐待の後遺症でもあります。

今でも自分が大切に感じている人から、

「バカ!」
「よくやるよ~」
「何やってんの?」

などの言葉が投げかけられると、心がズキッと痛みます。

後で相手が非礼を詫びてくる時もありますが、
相手の心ない言葉が私の心に起こした衝撃はずっと残ります。

相手が傷つく言葉を言った人は、そのできごとを忘れても、
言われた人は忘れないのです。

ここまでの内容は、私は親から受けた言葉の虐待によって
言葉自体に過敏になり、対人関係でも傷つきやすくなり、
人生が生き難くなったという面が浮き彫りになるだけですが、

違うアングルから見てみると、言葉をフォーカスしてきた
体験から、私は言葉に対する繊細さを発達させました。

そして、そのセンスを活かして、詩・文章書きなど言葉による
芸術的表現を研ぎ澄ませようとしたり、相手に分かりやすく
説明的に話すよう心掛けることができるようになったのです。

それは、私が心理療法家・講師、ライターとしての仕事の
能力を発揮する時に大いに活躍してくれています。

だからといって、母から言葉の暴力を受けてよかった、
そのことに感謝しているということはないけれど、

一見したら辛かった体験を後からどう活かしていくかは、
自分次第なんですね!

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「この絵は私が今まで見た最も印象的なものの中のひとつ。
よく見てあなたの子どものために、あなたの言動を見直して!

子のマインドは傷つきやすく感情は深く影響を受けやすい。
だから、言葉によって子どもの精神を壊さないで!
一度口に出した言葉は元に戻せないのだから」

機能不全家族(子供が子供として安全に暮らせない家庭)で育ったことは私も同じですが、私は少なくとも子供への虐待も自分を否定されて育つこともなく、また別の問題はあったにしろ、彼女の置かれた境遇に比べたらずっとましな状況でした。

しかし今の英子さんからは、そのトラウマから来る歪みを感じません。影響はもちろん残っていますよ。でも、それは経験を経た強みとして吸収されています。苦難を乗り越えたんですね。これってすごいことなんです、この虐待レベルで考えたら。非常に困難な道を、自分の心と向き合い、諦めずに歩んできたことがうかがえます。

人生をあきらめない。自分をあきらめない。
立ち上がれない時はそのままじっとしていればいい。立ち上がる力の戻るその時まで。

嵐の最中で「自分は不当な扱いを受けている」と気付ける子供なんていないと思います。ただ、嫌だ、辛い、ここから逃げたいという思いに突き動かされて行動するのみ。自分の置かれた状況を認識できるのは、ひと段落ついて、過去を振り返った時です。

そしてひと段落つけるためには、肉親と距離を置くことです。精神的な距離を保てないなら物理的に離れればいい。少なくとも肉親や親戚の活動範囲から外れた区域へ出る事です。できるだけ遠くへ。
※遠くにいてもSNSで関わっていたら意味ないよ。

私も海外で暮らそうと2回ほど目論みましたが、その度に強力な引き戻しにあい、振り切ることができませんでした。田舎の血縁地縁の強さは尋常ではありませんから。それでも、肉親の住む地域を離れただけでかなり楽になりました。そして斎藤学さんの「アダルト・チルドレンと家族」という本に出会い、人生を転換させました。



人生をあきらめずに、自分を捨てずに頑張ったら、英子さんみたいになれるんです。今、苦しんでいる人はどうぞ希望を持ってください。

NO!Baby Communication

太尾和子さんが珍しく憤慨していらっしゃいまして。ブログの内容を読んで、なるほどと思いました。ACをかじった人が、言葉を話し始める前の赤ちゃんと接触して親に言葉を伝えるという商売をしているらしいのです。

検証ができないからその正確性は全く分からないとか、子供の未来を果てしなく限定してしまうリスクとか、たくさんの問題を持った行為だと思います。私の心に一番強く反応したのはこんな内容。
親がBaby communicationで知らされた内容を信じこんで、その子の目的のために「ピアノの練習をさせること」に固執するあまり、本来子どもを育てていくのに一番大切なことが置き去りにされてしまうかもしれないのです。(中略)子どもたち一人一人にはもっと多様な可能性があるのです。
詳しくは太尾さんのブログをどうぞ。

私はテレパシー利用についてこんな風に考えています。

人間は言語というコミュニケーション手段を使って生きる生物です。そうである以上、人間同士は可能な限り言葉で相手に伝えるべきだと思うのです。考えただけで相手が理解して何かしてくれるような環境は、楽でしょうけれども、人をダメにする。どうすれば自分の意図が伝わるか一生懸命試行錯誤することに意義があると思うから。テレパシーでやり取りするのは死んでしまったり意識のない相手とだけでいいでしょう?

この話に限らず、自己肯定感を味わうために子供を利用するのはやめてほしいなと心底思います。

汚れていないから汚れを汚れと認識できる

2017.07.07【 人生を歩こう
尼僧の青山俊董さんという方の本を読んでいます。その中で、昔の自分が読んだら少しだけ楽になれたかもしれないなと思う言葉がありました。
汚れっちまった悲しみに、の詩を紹介した後で
汚れていない「もう一人の私」が了々と目ざめているからこそ、中原中也のこの詩があるのです。汚れを汚れと知り、汚れを悲しむことができるということは、垢づかぬ澄んだ「もう一人の私」が目ざめ、大きく育っている証拠です。

魂が汚れていたら自分の汚れに気付かないでしょう。そう考えたら、汚れた自分も、それを汚れと認識して嫌悪する自分もどちらも大切で価値のある存在に感じます。

かつて私は自分自身を嫌悪していました。今でも好きとは言えないかもしれないけれども、少なくとも嫌いではないし(たまにげんなりするけど)、時々自分にクスッとすることもあります。悪くないね、意外といいんじゃないのって感じ。
自分以上に嫌だったのが自分の中を流れる血で、激しく嫌悪していました。そちらも今は嫌悪感はありません。肉親にやはりうんざりすることはありますがそれはそれと受け入れています。

自分をも自分のルーツをも嫌悪していた頃の私には、上記の言葉はきっと役に立っただろうなと思うのです。

ただ、その時の私には友達の言葉がありました。
「体は遺伝しても、魂は遺伝しないよ。両親とは全くの別物」
これでどれだけ救われたことでしょう。

同じような方の心をすくい取ってくれるかもしれない1冊です。苦しみもがく人に対し、苦悩を受け入れる、というレベルで止まることなく、それを好転のエネルギーに転化するにはどうすればいいのかまで伝えようとしてくれています。

引用されていたホイットマンの詩。こんな風に年を取りたいな。
女あり 二人ゆく
若きはうるわし
老いたるは なおうるわし

因果応報

2016.05.12【 人生を歩こう
母を見ていると「自分のしたことは自分に返ってくる」というのが驚くほどはっきり理解できます。

母は、基本的には善意の人でした。他人に対して惜しみなく物品や手間を与えました。もちろん心の底には「してやった」気持ちがあったのは知っていますが、基本的には与えることで感謝されるのが無上の喜びだった人です。※子供に無償の愛を与えるのとは別の話

その母が唯一、明確な悪意をぶつけたのが、兄嫁。人生の黒いもの全てを同居する嫁にぶつけたようなもの。娘の私が聞いても「お母さんってこんな腹黒い汚さを持っていたのか」と驚くほどでした。

意思の疎通が困難になり体の自由も利かなくなった今、善意を与えた人からは無償の愛が、悪意を与えた嫁からは黒い感情が返ってきています。自分のしたことがそのまま自分に返ってきています。その言葉そのまんまです。

母の犯した最大の間違いは、家族(嫁)に対して悪意をぶつけたこと。大切にすべき「家族」だったのに、自分の中の消化しきれない感情を八つ当たりするかのように嫁へ投げつけてしまったこと。それを長い年数続けてしまったこと。謝ることなく終わってしまったこと(今は認知症により過去を謝罪するのは困難)。途中で改める機会はいくらでもあったのに。

残念ながら兄嫁もそれを悪意で返しました。どちらかが止めることもできたのに、2人とも悪意の応酬を続けた結果が今です。

兄も兄嫁も己が年取ったとき、子供やその連れ添いから同じ仕打ちを受けるかもしれません。年取って役に立たなくなった母親というのは、義母というのは、こう扱っていいのだという見本を自ら示してしまったのだから。

自分のしたことは自分に返ってきます。自分の行動の積み重ねが未来を作ります。自分に対しても他人に対しても誠実であろうと心掛けるのは自分を救う手段なのかもしれません。

情報に振り回されず上手に利用する

2015.08.03【 人生を歩こう
今の時代、情報が多すぎてかえって受験は大変なんだなと姪っ子を見ていて思います。それだけじゃなく、親がまるで受験生かのごとく入り込んでいて、情報にも親にも振り回されているのがお気の毒。

高校の教員やってる友達によれば「今の子は外からの情報が多すぎて自分が何をどうしたいのかを考えられない。それが本当は一番大事なのに。考えても次の情報に引っ張られて貫けない」状況だそうです。

受験に限らず、今は情報があふれていてかえって適切な選択がしにくくなりました。情報に振り回されず、上手に利用するにはまず「自分はどうしたいのか」「自分はどう感じるのか」「自分にとって何が最も大切か」をきちんと認識することが大切だと思います。己の内に問うわけです。その上で情報を取捨選択すれば納得いく道を進めると私は感じています。

先に損得を考えたら迷路にはまります。それで上手くいかなければ悔やむことでしょう。先に外に問うてはダメ。でも自分の意思を重点的に考えて悩んで決めたのであれば、思い通りの結果でなくても受け入れやすいかなと。決めたら後はふらふら悩まないこと。ひたすら進むのです。

情報を駆使してお受験に成功しても、それがイコール納得いく人生じゃないからね…。姪っ子には、親から自立して納得できる人生を進んでほしいものです。

アドラー心理学

2015.07.22【 現実的対処法
心理学を学びたいという姪っ子に「コミックでわかるアドラー心理学」というマンガをプレゼントしました。私も読んでみましたが、心理学という難解そうなものを具体的に分かりやすく噛み砕いて書いてありました。


私がこの10年間で学んだことやたどり着いた視点と同じことがたくさん載っていて、自分の進んできた道は理屈にあったものだったのだなと思いました。例えばこんなもの。
  • 人は自分専用のメガネで世界を見ている(仮想論)。
  • 自己分析や自分探しをいくらやっても自分は見つからないし問題は解決しない。本当の自分を探すんじゃない、自分を変えるんだ。
  • 行動を変えれば周りも変わる。性格も変わる。性格は社会に合わせるための表現方法であるから。

今までに読んだ禅僧の言葉ともかなり重なりました。夫がこのマンガを読んで「お釈迦様っぽい…」と言ったくらいですから、まあそんな感じなのでしょう。
心理学の入門書としても良さそうです。

人生は、頭で考えるほど複雑でもないし、難しくもない。
行動してみればそれが分かるよ。

若い頃の失敗は失敗ではない

2015.04.17【 人生を歩こう
親戚のおばさんと色々話をしている中で盛り上がった内容です。
「若い頃の失敗は年取ってから振り返ってみれば大した事ではなかった」
「その頃は失敗だと思ったことがその後の人生に役立っている」

若いうちは安心して失敗すればいいと思うのですよ。知識も経験も少ないのだからむしろ失敗なくやり過ごす方が稀。40歳超えた世代は温かく見守ってくれますし、場合によっては叱ったり助言したりしてくれるでしょう。だって自分も同じような失敗をしてきているから。そして多分、許されてきているから。30代だとまだもがいている途中かもしれないんでそういう余裕はないかも。

若いからこそ悩むポイントというのがありまして、それは40過ぎると見えてきます。自分の失敗や葛藤を思い起こして「ああ、若かったんだな」と思ったり。でも若さ=パワーでして、後先考えずガンガン進む力があるのも事実。

大事なのは、失敗しないことではなく、失敗してもその後どうやっていくか。失敗したという過去の1点に囚われて「今」を見据えず過ごしてしまうといつまで経っても「失敗」につきまとわれます。

今回は進路の話だったのでそこに絡めて言えば、「どこで」やるか(学校・会社・肩書き)より「何を どんな風に」やるか(中身と取り組み方)の方が重要で、人生に大きな影響を与えます。
それを理解してくれる親は多くないかもしれないけど、もし自分の親が理解してくれなくても世間には理解できる人がたくさんいるわけで、そういう人と関わればいいと私は考えています。そのためには自分自身がそういう思考回路を持つことでしょう。自分自身との対話も必須。

親の要望なんてね、際限なくて次から次へと玉虫色に変わっていくんですよ。「失敗」を許してくれないし、いくら頑張っても「もっと、もっと」だし。それにいちいち応えていたら自分の人生終わっちゃいますって。まあ中には達観した親もいるでしょうけど。「人に求める前にまず自分でやってみろ」と突っぱねればいいんじゃないですかね。