静養のポーズ

2012.10.28【 現実的対処法
ソマティックエクスペリエンスってどんなものだろうと検索している時に見つけたページからたどり着いたのが、アートセラピスト万葉さんの記事

こちらに、あるヨガポーズの絵が載っています。このページを紹介していた方はこれをやって3日で隠れていた怒りの感情が解放されたとか。腰痛に効果ありと書いてあるので、簡単だし、何も考えずにやってみました。腰は怒りの溜まり場とも言いますから何か出てくるかと期待して。

…背中が痛くて30分が苦痛。
背中というか、肩甲骨の辺りというか、この形をとるととにかく痛くて腕を5分おきに入れ替えてはしのぐくらい。特に左が顕著。
腰は問題なし。

3日やって音を上げました。だって痛いんだもん。1ヶ月もできないよ~。
でも3日やったから立派な3日坊主でしょ(笑)。
痛みは変わらなかったので、効かなかったのかなと思っていました。1ヶ月やると矯正になると書いてあるのに3日で変わるわけないか。

その直後にハコミセラピーを受けたんです。そこで私がセラピストに通訳したのが腰の痛みからの言葉。

腰の痛みがね、やさぐれていたんですよ。真っ黒な炭みたいなボールに顔がついていて、顔にマフィアみたいな傷があって
「どーせオレなんて厄介者さ。嫌われ者だからな。オレなんていなくなればいいと思ってんだろ」
と、私を斜めににらんでました。
でも寂しそうに言うんですよ。
「だけどよぉ、オレがいるからこそ気付けることだってあるんだぜ。全くの役立たずじゃないんだぜ。いなくなればいい存在なんて…」

セラピーの中で私は、腰の痛みが存在することを許しました。それまでは消えて無くなればいいと本気で思っていましたが、もう少し軽減した状態なら日常生活に支障はないから共存してもいいか、って。
自分の中のマイナス面を否定する思考が問題だと気付いたからには、痛みも存在を否定する(=消えて無くなれと思う)のはやめようと思いまして。

そしたらさあ大変!その翌日から腰の痛みってば、張り切って痛み出しましたよ。このまま治まらなかったら困るなぁと思うくらい、元気一杯弾けてました(ひぃぃぃ)。それまで抑圧していた分、吐き出すものがあったんでしょうね。

セラピーから時間が経っても尚、存在することを否定していた間は解放できなかった心や体の様々なものが一気に流れていきます。
静養のポーズで緩めておいてハコミで答えを見つけ、友人と会って話す中でさらに沢山のことに気付きました。セラピーを受けるきっかけから既に始まっていたのでしょう。全てがマッチしての結果です。

ところでこの痛み、これからどうするつもりでしょうね。ワーッと噴出したからそろそろ沈静化に向かっていくのかなとは思うのです。父の感情に共感して以来だいぶ軽くなってきたのは確かですけど、でも、痛みの存在を許したのだから共存もありかなとも思ってます。
あ、そうそう、確かに腰から怒りが出てきた結末でしたね。

ただ、自分でケアできることを一通りやってみてもひどくなるようなら人間ドックへ行った方がいいかな、とも思っています。お腹の中に何かができて腰を圧迫するという物理的な原因で痛みが出ている可能性もあるわけですから。

やさぐれた私の腰の痛みよ。できれば低出力でお願いします。

共感の力

前にも書いた腰の痛みが再び戻ってきてました。

もちろん体操などは続けているんですよ。なのに、ハコミセラピーを受けようと決めた頃から始まって、セラピーによって痛みの存在を許してもいいんだと思って以来、弾けたように元気良く痛みまして(^^;

朝、腰が痛くて目が覚めます。と言っても大体目覚まし時計が鳴るちょっと前ですけど。
その後は右向いたり左向いたりして痛みを軽減しようともぞもぞしています。早く起きる時間にならないかなぁと思ったり。←起きればいいのに

「今日も痛いぞ」と思って目覚めること5日。
今朝はちょっとマシかなと思って起き上がりトイレに入った瞬間、亡き父の感情に突然共感したのでした。
ああ、父もこんな気持ちで朝を待っていたのかなって。

あ、何でトイレやねん!というツッコミは無しで(^^;

父は脳腫瘍でした。倒れた時には既に手遅れで、母は余命3ヶ月の宣告をされたようです。その辺を私は一切知らなかったんですけど。そこから1年3ヶ月生きました。

特に家族には具合が悪いことを隠し通した結果の手遅れだと私は思っていました。頭が痛くて寝ていられない日があったことを何故父の葬儀で他人から聞くことになるのかと、怒りを覚えるくらい。

隠していたことに対して、それで手遅れになって死んでしまったことに対して、私はずっと腹が立っていました。自分の症状がかなりまずいものだと認識していて、病院へ行けば悪いと言われるのは間違いないけど今自分が入院するわけにはいかないから病院には行かない、なんて自殺行為です。まだ養うべき子供(学生だった私)がいたのにあまりにも無責任じゃないか、とずっと思っていました。すごく怒っていたわけじゃないけど引っ掛かりにはなっていました。

それが溶けた様に感じました。

ああ、父も朝が来るのをこんな風に待っていたのかな。
眠れないほどの痛みと共に夜を過ごすのは不安だっただろうな。
辛かったんだな。寂しかったんだな。
だからあの時私を呼んだのか。「誰か助けてくれ」って発したんだね。

父の透明な哀しみ・孤独と共感することができました。腰の痛みのおかげで。
今までも理解はしているつもりだったし、可能なレベルで理解していたのだろうと思うのですが、心からの共感はしていなかったのでしょう。
それが、ハコミでしてもらった共感を今度は私が父にしてやれたのです。

共感ができたことにより怒りは消えました。残ったのは愛。
共感の力、やっぱり恐るべし。

捨てるべきものと共生できるもの

長い時間かけてより良い自分作りを続けてきました。そして今、思うのです。

ネガティブなもの全てを捨てる(手放す)必要はないんだなって。それを持ったままでも支障なく生きていけるものの方が多いんだろうなって。それどころか、そういうものが人間らしさを作ってくれるんだろうなって。

生きる上で支障をきたす本当に解消すべきブロック(思い込みだったりトラウマだったり)って、ほんのいくつかなんだろうと思うのです。その上に多くの類似事項が積み重なっているだけで。様々な手法はそのいくつかを解消する時のために存在するのでしょう。

それが、色んなワークをやっていくうちに
「ネガティブな部分を全て解消しなければ真の幸せにはなれない」
ような錯覚に陥り、自分の中からそれを抹消しにかかります。ですがそれは既に自分の半分を否定しているのと同じ事なんですよね。

そのことを明確に意識したのは先日のハコミセラピーで受け取った体からの訴えでした。おかげで今は深く満たされた感覚を噛み締めています。

過去世のトラウマだって、それはもう過去の他人の人生における出来事であって、この人生は全く違うものなのだから、必要以上にフォーカスする必要はないわけです。わざわざネガティブ方向をフォーカスすることなくトライしてみればいいだけの話。やるだけやってみてどうしても乗り越えられずに困ってしまったら過去を探ればいいのです。

「過去世が××だったから今も○○ができない」で止めてしまうのはナンセンス。
○○ができなくても支障ない人生であればできないままでもいいんだし、できなきゃ困るならそのための具体的な対処法まで探ればいいのです。

今回の私の場合は、持っていても生きていけることでした。でもフォーカスするとひどく不安になります。だから解消しないと平安は手に入らないと思い込んでいました。
ですが、結果的には、持っていても特に何も起こらないのだから意識を良い事の方に向けて暮らせばいいだけの話でした。それが存在するのを許せばいいだけの話でした。

障害となる大物を解消した後はもうトラウマ退治なんてしなくてもやっていけるはずだったのに、今度は小さな引っ掛かりを探し始めてしまったんですね。そんなの放っておけば良かったのに。

何もない平らな場所に自分で穴を掘って足を突っ込んで「問題だ!」と思っている、あるいは気にせずまたいでいける程度の小石の前で立ち止まり「道をふさいでいるこの大岩を取り除かなければ前に進めないのだ」と小石を凝視している、そんな感じ。
現実的には何の問題もないのに自分で問題を作り出していたのです。

物事にはメリットとデメリットが存在する。ひとつの出来事が良い面と悪い面を併せ持つ。それはこの世の理です。人間もまた然り。
そのマイナス面を否定してなくしてしまおうと考える私の心そのものに不安が宿っていたのです。人間なのだから時には不安にもなるし、気分が落ち込んだりもしますけど、それが自然なのにバランスを崩してまでマイナス面を排除するのは不自然なのです。

意識を向ける方向を変えるだけで人生が変わります。既に起こった過去の出来事そのものはどう捉えようと変わらないけれども、それを自分の糧とする方向に捉えるか、足かせと捉えるかで未来は確実に変わります。これは紛れもない事実です。

潔癖症に陥ると人生、大変ですよ。実害のないものとは共生していきましょ。

ハコミセラピーから始まった話、もうしばらく続きます。

ハコミセラピーで受け取ったもの

2012.10.24【 現実的対処法
なぜ今回新しいセッションを受けたのかと言うと、停滞感があったからです。エネルギーワークによるメンタルからのアプローチではこれ以上掘り下げられない状況が続いていて、「進まなきゃ」「でも進めない」というジレンマがあったからです。
メンタルからがダメなら体からアプローチしてみよう、と思いました。心と体はつながっていますので。

とってもマイルドなハコミセラピー。
核心にズバッと斬り込む・バッサリ斬り捨てるのが好きな私にとって、受けた直後は何となく物足りないような気分も多少ありました。バキバキ整体が好きなのになでるようなマッサージを受けた時みたいな(笑)。が、実際には大きな収穫を感じています。

そうです。この↑刺激を求める思考が実は問題だったのです。

ホメオパシーの勉強中に、変化は穏やかな方が良い、本人が気付かないほど緩やかに変わっていく方が負担が無くて自然であるという考え方を学んだはずだったのに、すっかり忘れていました。

強烈なトラウマであればあるほどその解除には、そのトラウマに障ったことが分からないくらい穏やかに変わっていける方が楽なんです。理想は、いつの間にか知らぬ間に変わっていたと後になって本人が気付く穏やかさなのだそうです。心の痛みに接触して苦しむ瞬間は無しで進めるならその方がいいんです。

私は、状態の変化や思考の変換が起こる瞬間が好きなんですね。達成感があるんです。ついついそれを求めてしまうのです。だけどそれが感じられない(気付かない)やり方であっても同じ結果にたどり着けるのです。とてもマイルドなタッチながら、自分を苦しめている思い込みや思考にちゃーんと至るんですね。
必要なものは手にしているのに刺激がないから物足りないと感じたのです。

おかげさまで今回の問題は解決しました。常に動きがないと安心できない自分の傾向を認識し、ここから先の対処も理解できました。

ハコミの特徴である「共感すること」「寄り添うこと」による効果も、実感しました。共感によって自分の中の何かがブワッと放たれたのです。
解説だけでは「ふーん」くらいにしか思いませんが共感の意義は実際セラピーを受けてみると分かります。これがあるからこそ、ハコミセラピーが成立するのでしょう。共感の力、恐るべし。

トラウマへ直に働きかけてみたい人にはソマティック・エクスペリエンス、トラウマではなく自分の価値観や思い込みにゆったり優しいアプローチを望むならハコミ、ですかね。
トラウマであっても、特に心が弱りきっている場合にはまずハコミが良いのでは。心の体力が回復してからトラウマに向き合う方が楽だと思いますよ。

私がお世話になったスペースTaoには他にもファミリーコンステレーションという家族療法があるそうです。家族との問題を抱えて苦しんでいる方はこれが有効かと。
セラピストの玉木さんは穏やかで柔和な優しい印象ですけど、とても頭の切れる人じゃないかなと思いました。良い意味でね。

精神世界の手法ってちょっと怪しくて恐いと思う方、心理学の手法はいかがでしょ。
こちらもセラピストはしっかり選びましょうね。ことトラウマを扱う場合はよほどしっかり選ばないと傷を深めかねませんからご注意を。

ハコミセラピー

2012.10.23【 現実的対処法
前に友人が教えてくれたハコミセラピーを受ける機会に恵まれました。
感想としては、非常に非常にマイルドな感触。

ハコミは体からのアプローチによって自分を縛り付けている思考にたどり着けます。

私の場合はまず自覚していた痛みをじっくりと「感じて」みることから始まりました。
考えるのではなく、探るのでもなく、ただ感じる。
次にそれと関わる何か別のものを感じたらそちらに意識を向けます。ずっとつなげていって痛みの根っこにたどり着くとその部分に質問するのです。

質問はセラピストがします。私は体の声を通訳します。
…と書くと難しそうに思うかもしれませんが、じっくりと体を感じることで、感じたままそのまんまを口に出すだけです。

本当は、同じく体からのアプローチによるソマティック・エクスペリエンスというトラウマ解消の手法を試してみたいと思って行ったのですが、その辺も含めてどの手法が今の私に向いているかはセラピストにお任せしました。セラピストが私の話を聞いて「トラウマではなさそう」と判断し、ソマティックよりマイルドな、でも体からのアプローチをするハコミを選んでくれました。

ソマティックの説明も聞きました。アドレナリン調整により自律神経に正しいサイクルを取り戻させる方法で、セラピストにはかなりの知識と技術と経験が必要だろうなと思いました。パニックや気分の乱高下など自律神経の乱れを正し、症状が現れた瞬間の神経の動きを本来の状態に戻していくのに有効だと感じました。

ソマティックもハコミも心理学分野のセラピーらしいです。が、エネルギーワークを色々やってきた私から見たら「感じる」ことを重視するという基本は同じかな。
もちろんアプローチは違いますけどね。というか、その違いが大事だったりします。体からのアプローチ、面白かったですよ。

詳しい感想は次回。

楽しむための読書

2012.07.21【 日々の出来事
前にも書いたように思いますが、情報を取り入れることに対して興味が湧かずにいます。ここ2年くらい。インプットしようとすると「いっぱいです」と拒否されるような感じ。

なので本もあまり読まずにきました。読んでもざっと斜め読みとか。概要が理解できれば事は足りたので。

それまでは常に居間の座卓には本が山積みだったのにここ1年、数えられるくらいしか読んでません。読む気にならなかったんですよね。
友人のブログで紹介していて興味を持ったハコミセラピーに関する本も、これは素晴らしい捉え方だと思いつつも完読はできませんでした…。「情報お断り!」と内側から強く拒否されてます。頑張って読んでも入っていかないのです。

それで、方向を変えてみました。

情報を取り入れようとするから読みたくないのだとすれば、情報としてでない本を読めばいいじゃん。

…基本的に本が好きなんです。
要は何とかして読みたいんですね(^^;

図書館をうろうろして、ほんの少しでも感覚に触れる小説を見つけ出し、それから読み始めました。
小野不由美の「ゴーストハント」シリーズと神永学の「心霊探偵 八雲」シリーズ。

いやー、面白いです!
情報収集でないエンターテイメントとしての読書は久々かも。謎解きが好きなのはドラマを見て気付いてましたが心霊ものはもっと好きなようです。自分でも初めて知りました。

小さな頃から本が好きで中高生の頃もよく小説は読んでいました。でもあの頃は、今思えば「現実逃避の手段」という側面が大きかったように感じます。マンガと同じく。今、この瞬間の苦痛を忘れるための、魂を休ませるための、ひととき。
今は純粋に楽しむために読んでいます。ああ、それがうれしい。

エンジンがかかったところで他のシリーズや著者の物にも手を出し始めました。
こうして図書館通いがまた始まりました。