NO!Baby Communication

太尾和子さんが珍しく憤慨していらっしゃいまして。ブログの内容を読んで、なるほどと思いました。ACをかじった人が、言葉を話し始める前の赤ちゃんと接触して親に言葉を伝えるという商売をしているらしいのです。

検証ができないからその正確性は全く分からないとか、子供の未来を果てしなく限定してしまうリスクとか、たくさんの問題を持った行為だと思います。私の心に一番強く反応したのはこんな内容。
親がBaby communicationで知らされた内容を信じこんで、その子の目的のために「ピアノの練習をさせること」に固執するあまり、本来子どもを育てていくのに一番大切なことが置き去りにされてしまうかもしれないのです。(中略)子どもたち一人一人にはもっと多様な可能性があるのです。
詳しくは太尾さんのブログをどうぞ。

私はテレパシー利用についてこんな風に考えています。

人間は言語というコミュニケーション手段を使って生きる生物です。そうである以上、人間同士は可能な限り言葉で相手に伝えるべきだと思うのです。考えただけで相手が理解して何かしてくれるような環境は、楽でしょうけれども、人をダメにする。どうすれば自分の意図が伝わるか一生懸命試行錯誤することに意義があると思うから。テレパシーでやり取りするのは死んでしまったり意識のない相手とだけでいいでしょう?

この話に限らず、自己肯定感を味わうために子供を利用するのはやめてほしいなと心底思います。

人生のパートナー

2016.02.24【 人生を歩こう
つくしのACセッションからちょうど9年。

つくしは当時飼っていたゴールデンハムスターのメス。体格の良さと高い運動能力と悪知恵が相まってハムスターとは思えないあれこれをやりやがった(笑)ワルいヤツ。まだ若い身で(人間で言えば30代後半くらいか)逝ってしまいました。つくしはもう長くないと理解したその時、初めて太尾さんにACセッションをお願いしたのでした。

その頃、私たち夫婦は冷戦下でした。私は独り暮らし用の住宅情報を見ていたくらい。夫の人間性そのものは好きだけど、親にノーが言えず親の無理な要求を持ち込んで自分たちの首を絞めるのが、嫌でした。いつもとどめは「母さんは長生きできないから(我慢してほしい)」。それはずるいよ。

つくしがセッションで指摘したのはまさにそこでした。
分かりあうためにまずは本気で話し合え。己の気持ちをきちんと伝えろ。全力を出して努力してそれでもダメだったら次の道を考えればいい。
やる前から逃げてはいけないと命を懸けてそう伝えてくれました。

私は夫に真っ向から向き合って話をし、夫もそれを受けてくれました。その後いろんなことがあったけれども、そして今でもぶつかることはあるけれども、「善い人だな」と思います。同じようなスピードで共に成長し、共に同じ方向へ歩いていける存在です。
あの時もし、私が問題から逃げていたら、あるいは夫がこちらを向こうとしなかったら、今は別々の人生を歩んでいたことでしょう。

他方、兄夫婦を見ていると「問題から目をそらし成長しないことで共に同じ道を歩ける存在」であると感じます。夫婦仲はいいですよ。でも二人とも精神的に幼くて、問題を指摘されても逃げてしまいます。母とそっくりです。だからあんなに母と仲が悪いのかも。

共に歩める存在という意味では善き夫婦なのでしょう。これも人生のパートナー。
人により成長のスピードが違うことも理解はしています。が、私は彼らと共にはやってはいけません。実家ではあっても距離が必要。

私は問題の本質と向き合い、それを解決し、できるだけ楽に生きていきたいと考えています。それに同調してくれる、一緒に成長してくれる人が隣にいてくれて良かったと思います。つくしが命を懸けて伝えた言葉をまっすぐ受け取って行動して良かった。

ちなみに「長生きできない」と言われ続けた義母は70歳超えた今でもまだ健在です。子供の頃から長生きできないと言われてきたらしい義母は「どうせすぐ死ぬのだから」と人生を粗末に生きてしまいました。
でも病弱で短命なスタンスはもうやめてほしい。もったいないよ。70年以上生きてるんだから十分長生きしてるし、生命力も強いと思うぞ。

この先まだ当分義母は生きていられると思いますが、せめて1日を大切に感じてほしいものだと思います。
これも「在り方」なんですよね。この一瞬一瞬をどう在るか、の積み重ねがその人の人生を作っている。

ポンコツな体を脱ぎ捨てるとき

そこそこポンコツな家電の面々と付き合いながらふと思うのです。「これ、買い替えたら新しくなってすっきりするだろうなぁ」と。実用性に問題はないので買い替えませんが…。でも不調な家電を新調すると心のつっかえがなくなって気持ちいいですよね。

そこで思いました。もしかして死ぬときってそんな感じ?

ACと関わる中で「ボロボロになった肉体を脱ぎ捨て軽やかに楽しそうに舞う動物の姿」というイメージを見聞きすることがありました。これって、そういう感じなのかなと思いました。

彼らは時に、本来の寿命を延長してでも飼い主のために頑張ってくれたりします。もう体は限界を超えているのに「もう2~3日ここにいる」と踏ん張ってくれることもあります。飼い主のために。
ほとんど何も口にしないのに生きているのを見て「どうしてこのコは生きていられるんだろう」と思うことがありましたが要は、体はもう物質的エネルギーを必要としておらず(役目を終えている)、魂がそこに残るためのエネルギーが少しだけ必要なのでは。

まさにボロボロな体。そこから脱け出したら爽快でしょうね。すごく楽になると思います。

自分が死ぬ時もきっとこんな感じなんだろうな。夫に「もし私が先に死んだらお水取りは水じゃなくて酒にしてくれ。アルコール度数は35度以上厳守、ただしウイスキーは不可(←若かりし頃飲みすぎて痛い目に遭った)」とか言っていたらなんだか楽しくなってきました。死ぬってそう悪いことじゃない。遺される者は寂しいし悲しいけど。悪いことじゃない。

死のとらえ方がまた少し変わった気がします。

なーんて言っていながら、きっと桜でんぶ(仮名)が死んでしまったら辛くて悲しくてたまらないでしょうけどね(^^;

なぜ動物は人間をサポートするのか

ACについて語り合う機会がありまして。そこで1人が提示した疑問、「動物はどうしてここまで人間を手厚くサポートしてくれるのか」についてみんなで話しました。

結論から言えば「それが当たり前のことだから。自然の一部である動物にとっては、自然からはみ出してしまった人類にそれを気付かせ戻ってもらおうとするのは、特別なことではなくまさに自然なことだから」。

それを特別と感じるのは人間がそれだけ自然から乖離(かいり)してしまったからです。そしてそれに気付かないからです。だから動物が人間に対して「特別な」サポートをしていると勘違いしてしまうのです。動物は人間に対してだけでなく地上のすべてに対して同じことをするでしょう。連綿とつながる生命の一部として。動物だけでなく他の存在も同じはず。でも今の人間にはできない所業でしょう。

自然のサイクルからあまりに遠くへ飛び出してしまった人間に対して、「そっちじゃないよ、こっちだよ」と呼んでくれている。自然を支配し意のままに動かそうとさえ考える人間に対して「それは間違っているよ」と諭している。

人が惜しみなく愛情を注ぐことのできる存在、見返りを求めない無償の愛を体現できる存在、それが伴侶動物です。人は彼らに対してはためらいなく心を開きます。純真なその愛で人の心の深いところまで入り込めるからこそ、彼らの言葉は飼い主の心を打つのです。

動物を愛する人は彼らに喜んでもらいたいですよね。だったら真剣に考えてみてください。自分の人生に本当に大切なのは何か。自分は何に対して真に努力すべきなのか。自分がどういう状態なら彼らは微笑んでくれるのか。浅いレベルではなく深く見つめてください。
あれもこれも、ではなくたったひとつかふたつ選んだらあとは手放す、そんな腹のくくり方をするのです。人生がシンプルになって分かりやすくなって、楽になります。

重要なのは彼らに何かしてあげることよりもそれ以上に、飼い主が自身の人生をいかに生きるかです。それが彼らの最も喜ぶことであるとACを学ぶ中で何度も動物から伝えられました。

どんなにダメな自分でも彼らは決して見捨てません。時には叱咤激励しながら、私たちがこの人生を終えるまで、いや実は転生してやり直しを図っているときもずっと寄り添い続けてくれます。何があっても彼らはそばにいてくれます。どうぞ安心して、前を向いて進んでください。

AC仲間っていいな

かつてのAC仲間たちと久しぶりにやり取りして感じました。
動物の想いについて語り合える仲間って、いいな。

動物好き同士ならうちのコの可愛さとか飼育についてとか色々話ができるわけですが、ACを学んでその意義を理解し人生に役立てよう(それは動物の幸せにつながるから)と切磋琢磨してきた仲間とはもっと深いレベルの話ができるのです。広大なる動物の心、真の愛とは、魂の在り方、自身の人生についてetc.。そんなことも普通に出てきます。
今はもう日常的にACを使うのはほんの一部の人だけになったけれどもACを使う使わないに関係なく、築いてきた信頼の確かさを感じます。

動物の心に寄り添い、「動物の幸せ=飼い主のより良い人生」であると素直に信じ、愚直に努力してきた仲間たち。辛い時は助け合い、喜びは分かち合い、共に進んだ数年間は人生の宝物。
頑張って良かったな。恥を忍んで問題をさらけ出し練習セッション受けて良かったな。もがきつつも練習やって良かったな。しみじみそう思います。

福寿草咲いた

最後に飼ったハムスター2匹(オス・メス)は両者とも私のガイドとして遠い過去世から寄り添い続けてくれた、魂の片割れみたいな存在でした。
オスとメス、陰と陽、白と黒、そんなふたつの要素で私に様々なことを教えてくれました。この人生だけでも「ここぞ」という分岐点において何度も生まれ変わってそばにいてくれました。

ACを習って数ヶ月の頃でした。正月早々にメスの異変を察知して病院へ連れて行ったものの、案の定、検査できることは無し。ハムスターは病院に頼れる部分が本当に少ないのです。
これがAC仲間にヘルプを求めた初めての事例でこれを機会に仲間との助け合いが始まり、仲間に対し強い信頼ができていくわけですが、それも彼女の企画だったのかもしれません。そこから1ヶ月余りで彼女は逝ってしまいました。

彼女が見せてくれた沢山のもの。それは今も心の中にあります。
その死の直前、福寿草が咲いたのですよ。まだ寒い時期でね。福寿草が太陽のように見えました。彼女もそんな話をしてくれたっけ。どんなに寒くて暗い中でも心の中に太陽を持とう、と心に留めました。

オスはその2週間後に異変を示し、更に3週間後、これまた速やかに逝ってしまいました。なぜかセットなんで(笑)、逝く時も揃ってましたね。

毎年、福寿草が咲くとあいつを思い出します。今、何してるかな。相棒は某所へ生まれ変わったみたいだから今は別行動だよね。案外、桜でんぶ(仮名)の頭の上に乗ってたりするかも(笑)。

ACで問題行動は本当に解決するのか

飼い主がペットに対して「止めて欲しい」と感じる、いわゆる「問題行動」というやつ。
AC関係のブログでは「ぴたりと止んだ!」なんて話が書かれていたりするけど、その後本当に止まったままなのでしょうか。

私自身の経験(ハムスターと犬しかないけど)とAC仲間の動物たちを見てきた限りでは、セッション直後に程度が軽減したり行動が抑制されることはあるけれども、全く変化しないこともあれば、一時的に軽減しても半年1年経つとまたぶり返すように感じます。

話を聞いてもらって、納得いく交渉ができたらもちろんその分その行動は減ると思うのです。
だけどそもそもそういう行動をとるには元々の素質というか、別の要素があるんじゃないかと。本能に根差した行動であったり、特に躾が可能な犬なんかは例えば飼い主の「ダメ」という言葉と動き(の示す意味)が一致していないとかね。
話をするしないというだけの問題じゃないと思うのですよ。そもそも躾が存在しない動物に対して「~して(しないで)ほしい」と人間の事情を通そうとすること自体が方向として違うのではないでしょうか。それは丸ごと受け入れるべきことなのかもしれません。

それらの行動って、そのコの持っている性質やら飼い主の言動やら複数の要素が影響して現れるのだと思うのです。可能な限りの面からもアプローチしていって初めて、解決じゃないかと。他の誰か(アニマルコミュニケーター)に言い聞かせてもらって終わり、では飼い主の努力する余地無しですよね。
動物の行動そのものは変わらなかったけど飼い主が自身の問題と対峙することで変化してそれを気にしなくなった、というパターンもあります。
何より、AC以前にその動物を適切に飼育するための知識と行動を持ってこそ、ACの意義があると思うのです。去勢してないオスに「メスに乗っかるな」と言ってもそりゃ、「アホか、お前は」って話でしょ。

ACで問題行動が解決したと書いている方には、1年後も追跡して記載していただけるとうれしいな。多分、経験を積めば積むほどそういう記述はしにくくなるだろうと思いますが。