NO!Baby Communication

太尾和子さんが珍しく憤慨していらっしゃいまして。ブログの内容を読んで、なるほどと思いました。ACをかじった人が、言葉を話し始める前の赤ちゃんと接触して親に言葉を伝えるという商売をしているらしいのです。

検証ができないからその正確性は全く分からないとか、子供の未来を果てしなく限定してしまうリスクとか、たくさんの問題を持った行為だと思います。私の心に一番強く反応したのはこんな内容。
親がBaby communicationで知らされた内容を信じこんで、その子の目的のために「ピアノの練習をさせること」に固執するあまり、本来子どもを育てていくのに一番大切なことが置き去りにされてしまうかもしれないのです。(中略)子どもたち一人一人にはもっと多様な可能性があるのです。
詳しくは太尾さんのブログをどうぞ。

私はテレパシー利用についてこんな風に考えています。

人間は言語というコミュニケーション手段を使って生きる生物です。そうである以上、人間同士は可能な限り言葉で相手に伝えるべきだと思うのです。考えただけで相手が理解して何かしてくれるような環境は、楽でしょうけれども、人をダメにする。どうすれば自分の意図が伝わるか一生懸命試行錯誤することに意義があると思うから。テレパシーでやり取りするのは死んでしまったり意識のない相手とだけでいいでしょう?

この話に限らず、自己肯定感を味わうために子供を利用するのはやめてほしいなと心底思います。

お話し会-アニマルコミュニケーションを深く追求してゆく

アニマルコミュニケーター横尾美香さんが師と仰ぐ太尾和子さんとのコラボにてお話し会を開催するそうです。その意図するところは美香さんのブログにて。

このブログでこうして紹介できるのもこれが最後かと思うと、ちょっと寂しい気もします。太尾さんも美香さんも心根の真っ直ぐな方達で、自分の持っているものを提供することで誰かの役に立つなら、誰かの成長を手助けできるなら喜んで!という精神です。

怪しげなエネルギーワークの世界へ足を踏み入れるなら、人として真っ当な(できれば人として尊敬できる)講師を選んでくださいね。その点で私はこの2人を信頼しています。

このお話し会では、アニマルコミュニケーションを学んでいる方、セミプロ、プロの方達を対象にコミュニケーターとしての倫理、動物と飼い主さんへの責任、誠実さ、完治/ヒーリング、私達自身の心のヒーリングと成長の重要性、スピリチュアルの意味などを体験談、セッションスタイル、スタンスをもとに考えていきたいと思います。
質問の時間を多く取り皆さんのご質問に二人でお答えしていきたいと思います。
多くの質問を考えてきてください~
※アニマルコミュニケーションのやり方や他の講師の方の内容などについてお答えするものではありません。

日程: 2017年9月23日(土)
時間: 10:30-16:30
定員: 16名
会費: US$75
場所: 山崎製パン企業年金基金会館 (千葉県市川市)

申し込みは太尾和子さんへ。


ACは人間にも使えるかも

2016.03.24【 人生を歩こう
意思の疎通が困難になった母ですが何となく、今こう思っているのではないかと感じることがあります。母の場合は、もしかしたらこちらの言うことはある程度認識できているのかもしれないのです。ただそれに対して適切に反応することができないだけかも。その辺は現状、調べようがないのですが。

こちらの言うことは理解していてもそれと分かる反応が返ってこない。だとしたらハムスターの時と同じです。だったらACで得た感覚も利用できるはず。

実際には母を前にすると色んな感情も動いてしまって平常心ではいられないわけですが、それでも何気ない瞬間にポッと言葉が浮かんだりします。

会話のできる人間に対しては言葉によるコミュニケーションをすべきだと思います。それを怠るのは最初の一歩から間違っていると思うから。ですがそれができない人間であれば心だけの対話もいいのではないでしょうか。

ACの他にもTタッチとかホメオパシーとか、動物のために習った手法が病床に臥した母の役に立っています。肉親相手のことなので動物に対してほどは純粋な気持ちになれないものですが、そういう手法が使えるおかげで余計な感情や思念をことさら増幅させることなく関わることができ、非常にありがたく感じます。

人生の糧となる学び

ACや動物について深く語り合いながらしみじみ感じました。ACを必死で学んでよかった、と。

仲間に対して心を全開にし、恥も外聞もかなぐり捨てて練習に参加しました。セッションをするのも受けるのも。そこまでしないと太尾さんのような深い言葉を受け取れるACができるようにはならないからです。他者に対して完全にオープンにする、というのは人生でもまず経験のないことでした。ですがそのおかげで仲間との信頼関係は厚くなり、そこでの学びが今を形作っています。

あの時間がなければ今は違っていたでしょう。あの時必死で頑張ったから今、それが実を結んでいる。
ACを仕事にせずとも、それは無駄な努力になるわけではなく、それどころか宝物のような時間に感じています。

全力を出した経験は自信になるし、糧になる。どんなことであっても。

どこへ生まれ変わろうとも

ハムスターとしては私のこの人生で3回(足掛け6年)私の元に来てくれたオスがいます。遠い過去世から長い時間を私に寄り添ってきてくれました。私のガイドの1匹でもあり(もう1匹のガイドはこちら)、魂の片割れと言える強い絆を感じる存在です。初めて彼を見たときには「このコは私の魂のかけらだ」と感じました。彼のことはずっと「マイ・スイート・ハニー(ハート)」と思っております。

そんなハニーが生まれ変わると耳にしたのは数年前。
瞑想していた私にAC仲間宅のオス猫が近寄ってきて何か言いたげに見つめていました。その猫とは悪友なんです。
「よう。元気?」
「…うん」
「何。どうしたのよ」
「あのさぁ、これ、あんたには言うべきだと思うんだよ。本人が言わないのに俺が言うのはおかしいかもしれないけど、あんたは知っているべきだと思うんだよ。誰も言わないから俺が言うよ」

猫が語ったのは、ハニーが近々他所の家に生まれ変わる予定であるという衝撃的な内容でした。私だけのガイドだと思っていたから、私の魂の片割れだと感じていたから、それが他の人の所へ行くなんて本当にショックでした。
でもね、その一方で猫の思いにもじーんと来ました。ハニーが魂の片割れであるからこそ私はそれを知っておくべきだ、と私のことを真剣に考えてくれての行動です。飼い主には厚く御礼申し上げました(笑)。

ハニーは多分、1人のAC仲間のところへ子猫として生まれ変わり行ったのだと思います。上の会話から半年後くらいにそこへ行くと聞きましたから、もう一緒に暮らしているはず。

その仲間というのは、今は音信不通となってしまったのだけど、大好きな人。私も彼女が好きだし、ハニーも彼女が大好きでした。ハムスターだった頃、彼女の元へは度々訪れていたようです。今思えば彼女は特別だったんだなと。
彼女はとても繊細で敏感でそして疲れていました。連絡が取れなくなってから私も気になっていて、だから今は納得しています。彼女の所なら納得できる。そしてハニーが付いててくれるなら彼女は大丈夫、って思える。

冷静に情報が取れなかったのでAC的には自信がないものの、そうであってくれれば私は心穏やかに過ごせるから、そうだと信じています。もしかしたら彼女は私と同じ魂のグループなのかもしれません。だから共通のガイドが存在するのかも。

ハニーがなぜ言わなかったのかは分かりません。直接聞いてみても答えはありませんでした。それは言う必要がないと判断したから(関わるのが私の人生ではなく彼女の人生だから)かもしれないし、単に私が受け取れなかっただけかもそれません。
だけど私はそれを知ったことで多くを得ました。悪友猫の思いの深さに感激し、仲間にハニーが付いててくれる安心感を得、会えない仲間のことを今は心穏やかに応援しています。

ハニーがどこへ生まれ変わろうとも、何に生まれ変わろうとも、私の中のマイ・スイート・ハニー(ハート)であることに変わりなし。

共に学んだAC仲間もその後色々。
困難な状況にあっても遠くで自分を思っている人がいる、と知っていてくれたらうれしいな。

座禅と瞑想

年配の女性でとっても素敵な知り合いがいるのですよ。穏やかで凛として芯が強くて知識も広い。しなやかな柳のようです。そして、いつもは静かな方なのだけどある分野の話になると熱い。
どうしたらこういう素敵な年の取り方ができるのだろうと思っていました。そしたら先日、聞いちゃったのですよ。その秘訣を。

週末に近所のお寺で座禅をやってるんだって。もう20年も。毎週必ずとはいかないようですが参加できる日だけ続けて20年。なるほどな~。

座禅は、エネルギーワークでやる瞑想(メッセージを受け取るとか誰かに会うとかではない単なる瞑想)と技術的には同じようなものです。ただ、瞑想という言葉には一種の胡散臭さが付いて回るんですよね…。多分、それをやる背景が違うのだと思います。欲の有無が。

瞑想をする人の多くが「○○が上達したい」「××を受け取れるようになりたい」「あれができたい」「これができたい」という目的(欲求)を持って行っていることでしょう。何かを「得る」ことに意識がいきがち。
それに対して、座禅をする時にはただ心を鎮めることだけを意図しています。煩わしい日常から離れたい、とかね。何かを「得る」ことは目的ではありません。もし目的があるとしたら「手放す」ことでしょう。実際、TVで紹介された禅僧は脳裏に浮かび上がってきたものを追いかけず流すよう指導していました。

もちろん向上心は大切です。それがなければ何事も上達はできません。
ですが本来、瞑想というのはその向上心すらも手放すものであるのだと思います。全てを手放して真に自由となる瞬間。何かを握り締めたまま続けてもきっとある所で止まってしまうんじゃないかな。手放したからこそ次を握れる。

何かを得るためにはまず何かを手放さなければならないのです。

あ、座禅で首相に返り咲いた人がいますね。でもあの人は「国の最高責任者(←このフレーズ好きですよね)という力を手にする」ためにまずは精神を安定させる目的の座禅をしたんだと思いますよ。欲を手放さないまま続けたから「人柄が信頼できない」とか言われちゃうんでしょう。もう一段人間性を上げられるチャンスだったのに。
あと、「解脱」を目的に座禅している人たちも現状から先には進めないでしょうね…。だって解脱することで何らかの力を得ようとしているのだから。解脱って結果すらも全て手放すことなのに。解脱を口にする宗教団体から感じ取る胡散臭さはその辺かも。

さて、私はどうだったかといえば、瞑想の手順を追うのにいっぱいいっぱい(笑)でした。もちろんACが上達したいという気持ちがあってやっていたのだけど意識がそこまで行くような余裕はなく、瞑想だけで精一杯だったりして(^^;
まあ最初はそれでいいのかなと思います。目の前のことに精一杯取り組むのが大事。
そこから始めて、瞑想をすると快適だから続ける、という形になっていけば理想なのでしょう。何かのための瞑想ではなく、瞑想自体が好きだから続ける、というのが。私は瞑想以外にそれを見つけてしまいましたが。

瞑想や座禅という形を取れなくても、公園など緑の中に身を置いてゆっくり深呼吸するだけでも全然違いますよ。5分間だけでも携帯・スマホは電源切って(手放して)ね。

AC仲間っていいな

かつてのAC仲間たちと久しぶりにやり取りして感じました。
動物の想いについて語り合える仲間って、いいな。

動物好き同士ならうちのコの可愛さとか飼育についてとか色々話ができるわけですが、ACを学んでその意義を理解し人生に役立てよう(それは動物の幸せにつながるから)と切磋琢磨してきた仲間とはもっと深いレベルの話ができるのです。広大なる動物の心、真の愛とは、魂の在り方、自身の人生についてetc.。そんなことも普通に出てきます。
今はもう日常的にACを使うのはほんの一部の人だけになったけれどもACを使う使わないに関係なく、築いてきた信頼の確かさを感じます。

動物の心に寄り添い、「動物の幸せ=飼い主のより良い人生」であると素直に信じ、愚直に努力してきた仲間たち。辛い時は助け合い、喜びは分かち合い、共に進んだ数年間は人生の宝物。
頑張って良かったな。恥を忍んで問題をさらけ出し練習セッション受けて良かったな。もがきつつも練習やって良かったな。しみじみそう思います。