ちっともこの15年を振り返らない件;;

HP・ブログ閉鎖まで残り4ヶ月。なのにちっともレイラの事故やその後に関するあれこれを振り返らないで、いいのだろうか。

ええ、いいんです。だって私が見つめているのは「今」であって過去じゃないから。振り返るのは4年ほど前にHPでやったしね。

健康診断で訪れた動物病院の獣医師の初歩的ミスにより命を落とした可愛いうちのコ。
レイラの事故に関する出来事と向き合った日々は今の私にとって大きな糧となっています。例えば、「これは一体どうすればいいんだ」と頭を抱えるような問題にぶつかった時。にっちもさっちもいかない状況にもがいている時。自分に問いかけます。
「この問題とレイラの事故と、どっちが困難?レイラの死と比べてこれはもっと辛い内容か?」

答えはもちろん、レイラの事故の方が困難でそれに比べたらきっと乗り越えられる内容、です。

だって大切な者が誰も命を落としたわけじゃない。いくら辛くても苦しくても哀しくても腹立たしくても、私は何一つ大切な存在は失っていない。あの出来事を乗り越えたのだからこれも乗り越えられる。だから大丈夫。進め、自分。そう自分を励ましながら。

そして実際、頭を切り替えて乗り越えてきました。きれいに解決したことばかりではないけれども、自分にできる精一杯をやってそれでもう結果は手放してきました。思い通りの結果になるばかりじゃないよ。でもやれることを全力でやっての結果だから受け入れます。

これに限った話じゃないんですけど、
「○○があったから今の私がある」
「○○のおかげで」
なんて言葉を引っ張り出すことなく、もっと自然な形で言動に深みが表れたらいいなと思っています。真に過去を消化吸収していたらそうなるだろうと思うから。それに、何かを特別扱いするのって苦手なんで…。

このブログを書き始めた時は、方法論を紹介しようと考えていました。私が試してみて良いと思った手法を紹介することで同じような状況にある誰かの助けになるかもしれない、と。

ただ、今はこう考えています。
読む人には、方法論ではなく本質をつかんでほしい。方法論は枝葉末節。そこじゃなくて幹の部分を見つけてほしい。何を重視して何と向き合えばいいのかを考えながらその人に合った手法やそれを提供してくれる人物を探して試していけば、必ず朝は来るし、雲を突き抜けられるから。

大型犬連れでもう一度泊まりたい宿

2017.07.25【 旅の話
桜でんぶ(仮名)を連れての宿選びは選択肢が狭い上に条件がシビアで、大変でした。ですがそのおかげで素晴らしい宿とも出会えました。

もし桜でんぶ(仮名)が昔のような元気を保っていたならもう一度訪れたいなと思える宿をピックアップしてみました。ほとんどコテージです。全国には同じく素晴らしい宿がたくさんあるから、これはほんの一部ですけども。


KOYOはHPが無くなっちゃいました。管理人のおばちゃん元気にしてるかなぁ。

我が家の宿泊条件はこんなところです。警戒心が強く敏感で吠える、足の悪い大型犬。
  • 大型犬OK(もちろん室内も)、ただしベッドには入らない
  • 通路が他室と共有でない(人の気配に強く反応するから)、つまり戸建て
  • 室内では家族だけ(部屋に他人がいるとひどく警戒する)→伊豆子は例外
  • 長い階段と高い段差はNG
  • 駐車場から部屋までできるだけ近い(大型犬は荷物が大きい)
  • 予算1泊1万5000円以内(室料のみ)

犬連れで楽しい思い出が残る場所へ、犬がいなくなってから行くのは勇気がいります。だから桜でんぶ(仮名)がいなくなったら上記の宿は(心理的に)もう行けないかもしれないなぁと思うのです。でもそこを乗り越えれば人間だけでも再訪したい宿でもあります。

尚。今年いっぱいでこのブログは閉鎖しますので、もし心惹かれた宿があったら自分でブックマークしておいてください。

言葉より行動

2017.07.24【 人生を歩こう
この頃は、人を見る時にその人の言葉より行動に注目しています。最近とみに、社交辞令を超えて口(メール等含む)の上手い人が多いから。言葉であっても、心の底から出てくる言葉には伝わるものがありますが、そうでないことは日常で多々あります。

で、色々考えてみたのです。何で言葉だけが出てくるのか。それを信用できないのか。

動く気がないから口先だけ動かすのでしょうね。行動しない人ほど口がよく動く傾向にあります。口も行動も活発なエネルギッシュな人はもちろんいるでしょうけど。

興味もないのに興味を示す振りなんてしなくていいのです。「あ、この人は口だけだな」と大体分かるので、その場で調子を合わせたりお世辞言ったりは意味ないですよ。日常会話でまで他者の言葉に「イイネ」をつける必要はありません。それって自分の信用を落とすだけ。

せめて「共感」で止めておけばいいのに、同調して行動するかのように表現してしまうからいかんのです。
そもそも、思ってもいないのに同調する(振りをしあう)今の風潮は気持ち悪い。といっても、共感できない事を否定・拒絶するのも違うと思いますが。

それはさておき。人間って、本当にやりたいことは黙ってさっさとやるし、人にいちいち言わずに行動するもの。どうすればやれるかなと考えている時はしゃべりません。

逆に言えば口が動く時は、本当は大して行動する気(あるいは興味)はないのだと自覚すると、色々楽になりますよ。それだったら口も体も動かさなきゃいいんだもん。

相手が喜びそうだという理由で言葉を選ばないように、私は気を付けています。
まず考えるべきは、自分がどう感じてそれをどう伝えたいか(伝えないという選択もあり)。人がどう感じるかはその次。そうすればたとえ反対意見であっても、自分の思うところを伝えつつ、相手を否定しない言い方に向いていくと思います。

NO!Baby Communication

太尾和子さんが珍しく憤慨していらっしゃいまして。ブログの内容を読んで、なるほどと思いました。ACをかじった人が、言葉を話し始める前の赤ちゃんと接触して親に言葉を伝えるという商売をしているらしいのです。

検証ができないからその正確性は全く分からないとか、子供の未来を果てしなく限定してしまうリスクとか、たくさんの問題を持った行為だと思います。私の心に一番強く反応したのはこんな内容。
親がBaby communicationで知らされた内容を信じこんで、その子の目的のために「ピアノの練習をさせること」に固執するあまり、本来子どもを育てていくのに一番大切なことが置き去りにされてしまうかもしれないのです。(中略)子どもたち一人一人にはもっと多様な可能性があるのです。
詳しくは太尾さんのブログをどうぞ。

私はテレパシー利用についてこんな風に考えています。

人間は言語というコミュニケーション手段を使って生きる生物です。そうである以上、人間同士は可能な限り言葉で相手に伝えるべきだと思うのです。考えただけで相手が理解して何かしてくれるような環境は、楽でしょうけれども、人をダメにする。どうすれば自分の意図が伝わるか一生懸命試行錯誤することに意義があると思うから。テレパシーでやり取りするのは死んでしまったり意識のない相手とだけでいいでしょう?

この話に限らず、自己肯定感を味わうために子供を利用するのはやめてほしいなと心底思います。

抵抗バンザイ

2017.07.13【 人生を歩こう
何かやりたいと思った時、すんなりとはいかないことがあります。その時こそが自分に問う絶好の機会だと思うのです。
「自分は本当にこれをやりたいのか」
「誰かの反対を押し切ってでも、面倒を乗り越えてでも、やりたい気持ちがあるのか」

抵抗の強さ大きさには様々あって、もちろん自分の力ではどうにもならないような強大な力の場合もあります。それでも、進むか退くかを決めるのは自分。突進してみるも良し、一旦退いて再度チャンスを狙うも良し、「そこまでしてやりたいわけじゃなかったんだ」と気付いて本当にやりたいことへ進むのも良し。

より強くしなやかに生きていくトレーニングだと思うのですよ。抵抗があってこそ、人は成長するのでは。

逆に、何でも与えてくれる・やってくれる人のそばにいたら人間はダメになります。さほどではない興味であっても「ほら」と全て整えて与えられるような環境にあったら、できる子もできなくなりますって。時と場所と相手を選ばず先回りして与える人は他人をダメにする。世話好きな人はその辺よく考えてほしいなと、自分の姉を見ながら思います。

ちょっと話違うけど、今の日本社会って、ベッタベタに同調するか、存在することすら許さない程否定するかのどちらかに感じます。暮らしていて非常に心地悪い。

夫が定年退職したら国内の別の場所へ移住しようと考えていますが、最近は日本にげんなりすることが増えてきて、海外へ出ようかなとも思い始めました。

好奇心を大切に

2017.07.08【 人生を歩こう
「やってみたい」と「やりたい」は違うと思います。
「やりたい」はその事柄を知っている、またはポジティブな確信を持っている時に出る言葉。
「やってみたい」はそれがどんなものか分からないけど興味を惹かれるから試してみたい時に出る言葉。

私は「やってみたい」を大切にしています。
それは未知の世界へ足を踏み入れることだから。それだけのエネルギーが自分の中にあるということだから。

やってみて、それで満足したり合わなければそこで止めればいいし、良さそうなら続けてみればいい。実際に行動して試してみなけりゃ分からない事、人生には山ほどありますがな。

心が疲れてくると好奇心が減っていきます。私は好奇心の強弱で自分の心の状態を判断しております。何を見ても聞いても「面白そう」「なんだ、これ♪」と思わなくなったら要注意。ケアが必要。過去にはそういう時期もありました。

また、桜でんぶ(仮名)は初めての物事に対して非常に神経質でした。未知のものに対し、好奇心より不安や恐怖心の方が強かったようです。うちに来て少しずつ感情を解放していく中で、今では好奇心が先に立つようになりました。

もちろん今でも繊細過ぎる面は往々にしてありますし、怖がりでもあります。それでも不安より好奇心が勝る暮らしは楽しいだろうと思います。

汚れていないから汚れを汚れと認識できる

2017.07.07【 人生を歩こう
尼僧の青山俊董さんという方の本を読んでいます。その中で、昔の自分が読んだら少しだけ楽になれたかもしれないなと思う言葉がありました。
汚れっちまった悲しみに、の詩を紹介した後で
汚れていない「もう一人の私」が了々と目ざめているからこそ、中原中也のこの詩があるのです。汚れを汚れと知り、汚れを悲しむことができるということは、垢づかぬ澄んだ「もう一人の私」が目ざめ、大きく育っている証拠です。

魂が汚れていたら自分の汚れに気付かないでしょう。そう考えたら、汚れた自分も、それを汚れと認識して嫌悪する自分もどちらも大切で価値のある存在に感じます。

かつて私は自分自身を嫌悪していました。今でも好きとは言えないかもしれないけれども、少なくとも嫌いではないし(たまにげんなりするけど)、時々自分にクスッとすることもあります。悪くないね、意外といいんじゃないのって感じ。
自分以上に嫌だったのが自分の中を流れる血で、激しく嫌悪していました。そちらも今は嫌悪感はありません。肉親にやはりうんざりすることはありますがそれはそれと受け入れています。

自分をも自分のルーツをも嫌悪していた頃の私には、上記の言葉はきっと役に立っただろうなと思うのです。

ただ、その時の私には友達の言葉がありました。
「体は遺伝しても、魂は遺伝しないよ。両親とは全くの別物」
これでどれだけ救われたことでしょう。

同じような方の心をすくい取ってくれるかもしれない1冊です。苦しみもがく人に対し、苦悩を受け入れる、というレベルで止まることなく、それを好転のエネルギーに転化するにはどうすればいいのかまで伝えようとしてくれています。

引用されていたホイットマンの詩。こんな風に年を取りたいな。
女あり 二人ゆく
若きはうるわし
老いたるは なおうるわし