無理は禁物

昔から花の香りが苦手です。いや、苦手でした。今は嫌じゃなくなりましたので。
特に嫌いだったのがバラの花の香り。5年ほど前までは全く受け付けない状態でした。反対に、好きなのが柑橘系の香りやグリーン系。

ある時、精油をスピリチュアルなアプローチで学んでいる知人のモニターとして精油を選んでもらう機会がありました。4種類の精油をその人が私のために選んで配合してくれるのです。それがね、すごかったの。

選ばれたのは、バラの香り(そのもの)とバラの代替品となるそっくりな香り(名前忘れた)、そして柑橘の香り(レモンだったかな)とその代替品とされるそっくりな香り(名前忘れた)。
大嫌いな香りと大好きな香りが真っ向勝負です(笑)。香りの好みについては全く伝えてないのにこの選択か!とびっくりしたものです。多分、私にとってバラの香りは乗り越えるべき何かを象徴する香りなのでしょう。

で、何が起こったかというと、その精油ミックスを嗅いでも何も感じなくなりました。

乗り越えたと思うでしょ?違うんですよ。嗅覚がバラの香りに対して閉じてしまったのです。完全シャットアウト。それ以外は何の問題もなく認識できるのだけどバラの香りだけは一切認識できなくなりました。

どんだけ嫌だったんだ、自分(笑)。

無理に乗り越えようとしてはいかんな、と思いました。克己心は大事だけど無理やり前に進める必要はないんだなって。
その後、色んな経験を積んで自分なりの成長をしていく中でいつの間にか花の香りが嫌いではなくなりました。あれから8年経った今はバラの香りも平気。好きとまでは言えないかもしれないけど決して悪い感覚はありません。

克己心の強い私みたいなタイプは、焦らないようご注意ください。その時が来れば必要なことが起こって必要な階段が現れますから。無理して階段を作って昇らなくてもいいんです。今目の前にある現実を丁寧に生きればそれでよし。知らぬ間に階段の上にいたりします。

バラの香りが何を象徴していたのか今でも分からないけどそれはもうどうでもいい。だってちゃんと前進しているのだから。

富士のヒーリングサロン開店

私の大好きな「変なおじちゃん」・たけちゃんがヒーリングサロンを開きました。HP見てびっくりですよ。プロっぽい!まるでお店!って。←いや、本気のお店なんです
ソンレイル富士店

卓球部のページがあるところがたけちゃんです。卓球LOVEな人なんで。参拝フェチでもあり、神社仏閣その他パワースポットの案内もしてくれるようです。

私、エネルギーワーク(特にレイキ)をする男性は苦手なタイプがほとんどでした。権威を好む人が多くてね…。話していてうんざりしてくるの。でもたけちゃんは違います。煩悩より「愛♪」が前面に出てきてしまって(?)、何だか動物と人間の中間みたいな感じ。人じゃないのかも(笑)。
清水店の青木さんも知ってますがこちらも真っ直ぐなお方。

エネルギーワークを受けるなら人として「いいな」と思える人から受けてください。プラクティショナーの在り方を差し置いて技術優先で受けても身になりません。というか不快な気分が残ってしまっては逆効果ですから。パワフルさだけを強調するヒーリングも勧めません。

もちろんここで紹介するのは今の私がいいと思う人であって、それが他人に合うとは限りませんからその辺は自分でチェックしてくださいませ。

ノンジャッジメント(裁定を下さない)

精神世界系の人が集まる場面では宇宙人のような会話が飛び交うことがあります。講座・講演では地に足がつかない質問がバンバン飛んだりするわけです。目に見えない世界に神秘性を感じて集まってくる人が多いからかもしれませんが、物知り顔で「だからどーした」な質問をいくつもする人っているんですよね。

そういう時私はその内容にゲンナリしながら、「この人これ聞いてどうしたいのよ」「それって現実的に何か変わりがあるわけ?」と心の中でツッコミながら聞いています。だって「だからどーした」としか思えないんだもん。

でもね、そういう質問に対してノンジャッジメントの姿勢で淡々と答える講師ってすごいなと思うのです。太尾さんなんて正にそう。問われた内容に「下らない」「意味がない」とジャッジしてしまう講師も多い中、良いとか悪いとか価値があるとかないとかの裁定を下さずその人の疑問に答えるその姿勢が、すごいなと。

できないですよ。私はジャッジしちゃってます。自分の価値観に照らし合わせて他者の視点を裁いています。もしかしたら「下らない」とジャッジされたその内容がその人の今後の人生に大きな変化をもたらすきっかけとなるかもしれない。可能性はゼロではない。なのに勝手にジャッジして切り捨てています。

そういうことって日常生活の中でもあちこちであるんでしょうね。例えば子供の素朴な疑問とか。

宇宙の彼方へ逝っちゃってる人に対しては「早く地球に戻ってこい」としか思わないかもしれないけど、もう少し広い視野でとらえようと思います。

両輪の一輪

現在、変化の真っ只中におります。方向としては正しいと感じていてそっちへ進むことに対する不安はないのだけど、一気に物事が流れ始めたもので、あまりに流れが速すぎて大きすぎて足を取られるんじゃないかと不安になるくらい。

気心知れた友人に自分の状態をチェックしてもらい、軸を整えて流れに呑まれることなく乗りたいと思い、ヒーリングをお願いしました。

陽だまりのしっぽ mikaさん、相変わらずイイ仕事してます。的確な指摘、現実を見つめ地に足付けた視点、そして高い精度。技術的にも人としても信頼できるエネルギーワーカーです。

でもね、彼女は今、エネルギーワークを前面に出してないんです。必要な人に届くようひっそりと告知しているのみ。理由は何となく分かります。
だからヒーリングの感想も具体的に出さずにおきます。まあこんな私だからヒーリングを受けても神秘体験はありません(笑)。欲しいのはそういうんじゃないから。前進するにあたり非常に助かっているとだけ記しておきます。

エネルギーワークに飛びつきたいときというのは、現実から逃れたい状態のことが多いんですよね。目の前に横たわる問題を直視して正面から取り組むのは避けたいから(または辛いから)、自分の預かり知らない不思議レベルで何とかならないかなと考えてしまったりするのですよ。ええ、体験談です。

だけどそういう姿勢でいくらエネルギーワークを受けてもそれだけじゃ、現実はあまり変わらない。だって問題から目を逸らしたままだから。腹をくくって現実と対峙しない限り、人生は変わらないのさ。その対峙する場面において支えてくれるのがバッチやホメオパシーであったりACであったりヒーリングであったりするエネルギーワークの数々。

現実レベルの行動とエネルギーワークというのは、車椅子の両輪みたいなものだと思います。あるいは手漕ぎボートの左右のオール。片側だけ動かしても前には進めない。同じ場所をグルグルするだけ。両方がいい具合にかみ合って動くと確実に前へ進む。彼女が目指すのはそういうものだと理解しています。


座禅と瞑想

年配の女性でとっても素敵な知り合いがいるのですよ。穏やかで凛として芯が強くて知識も広い。しなやかな柳のようです。そして、いつもは静かな方なのだけどある分野の話になると熱い。
どうしたらこういう素敵な年の取り方ができるのだろうと思っていました。そしたら先日、聞いちゃったのですよ。その秘訣を。

週末に近所のお寺で座禅をやってるんだって。もう20年も。毎週必ずとはいかないようですが参加できる日だけ続けて20年。なるほどな~。

座禅は、エネルギーワークでやる瞑想(メッセージを受け取るとか誰かに会うとかではない単なる瞑想)と技術的には同じようなものです。ただ、瞑想という言葉には一種の胡散臭さが付いて回るんですよね…。多分、それをやる背景が違うのだと思います。欲の有無が。

瞑想をする人の多くが「○○が上達したい」「××を受け取れるようになりたい」「あれができたい」「これができたい」という目的(欲求)を持って行っていることでしょう。何かを「得る」ことに意識がいきがち。
それに対して、座禅をする時にはただ心を鎮めることだけを意図しています。煩わしい日常から離れたい、とかね。何かを「得る」ことは目的ではありません。もし目的があるとしたら「手放す」ことでしょう。実際、TVで紹介された禅僧は脳裏に浮かび上がってきたものを追いかけず流すよう指導していました。

もちろん向上心は大切です。それがなければ何事も上達はできません。
ですが本来、瞑想というのはその向上心すらも手放すものであるのだと思います。全てを手放して真に自由となる瞬間。何かを握り締めたまま続けてもきっとある所で止まってしまうんじゃないかな。手放したからこそ次を握れる。

何かを得るためにはまず何かを手放さなければならないのです。

あ、座禅で首相に返り咲いた人がいますね。でもあの人は「国の最高責任者(←このフレーズ好きですよね)という力を手にする」ためにまずは精神を安定させる目的の座禅をしたんだと思いますよ。欲を手放さないまま続けたから「人柄が信頼できない」とか言われちゃうんでしょう。もう一段人間性を上げられるチャンスだったのに。
あと、「解脱」を目的に座禅している人たちも現状から先には進めないでしょうね…。だって解脱することで何らかの力を得ようとしているのだから。解脱って結果すらも全て手放すことなのに。解脱を口にする宗教団体から感じ取る胡散臭さはその辺かも。

さて、私はどうだったかといえば、瞑想の手順を追うのにいっぱいいっぱい(笑)でした。もちろんACが上達したいという気持ちがあってやっていたのだけど意識がそこまで行くような余裕はなく、瞑想だけで精一杯だったりして(^^;
まあ最初はそれでいいのかなと思います。目の前のことに精一杯取り組むのが大事。
そこから始めて、瞑想をすると快適だから続ける、という形になっていけば理想なのでしょう。何かのための瞑想ではなく、瞑想自体が好きだから続ける、というのが。私は瞑想以外にそれを見つけてしまいましたが。

瞑想や座禅という形を取れなくても、公園など緑の中に身を置いてゆっくり深呼吸するだけでも全然違いますよ。5分間だけでも携帯・スマホは電源切って(手放して)ね。

過去世情報を使うときの注意点

先に書いたとおり、心の闇に関わる問題を開放するのに過去世情報を利用しました。私はアカシックレコードという形で探しましたが人によっては違う方法で過去世情報を引き出すと思います。

その時に気を付けるべきこと。
それは明確な意図を持って探すということ。そしてそれは正確な意図であること。

過去世の情報は膨大にあります。大抵の人は前の人生も人間で、その前もその前も人間として地上で生きてきていて過去世がいっぱいあるのです。何も考えずに「過去世を見たい」と扉を開いても役に立つ情報は得られません。広大な図書館でさまようようなもの。
興味本位でその辺を適当に読んで周るならそれも楽しいけど、「この問題解決に必要な情報が欲しい」という目的があるならその意図をしっかり伝えた上で読まないと時間を無駄にします。

巨大な情報の倉庫からピンポイントで必要な情報を探すには「何を」「どうする」ための情報が欲しいのかを明確に意図すること。

私はアカシックレコードに入るとき、暗闇の感覚を思い起こし「これを根本から開放するのに必要な情報を知りたい」と意図して情報を得ました。
実はその前は「これに関わる出来事を知りたい」と意図したら、確かに同じような問題を抱えた過去世が出てきたのだけどそれは原因ではなくて、少女の問題が起きた結果として引き起こされた出来事でした。少女の魂が生まれ変わった後の人生での慟哭。そういうことを3回ほど繰り返し「これでは埒が明かない」と気付きました。

そんなの見ても辛いだけ。派生事項をひとつずつ開放していっても根っこにある感情を開放しないといつまでも同じことを繰り返してしまう。そう感じました。
だから意図は正確に。

あとね、「過去世が○○だったから今もそうなのは仕方ない」という思考回路は持たないこと。それは今を変えないための言い訳にすぎません。過去は過去。今からをどう生きるかが問題。
それと、他者の過去世について「あの人は××だった」「あなたは~だった」などと、頼みもしないのに勝手にべらべらしゃべる人の言葉を聴く必要はありません。それは役に立たない情報です。

これは過去世の話だけでなく普通の人生においても同じですが、過去の一大事は「きっかけ」にすぎません。今の自分を造っているのは今の今までに積み重ねてきた行動であって、過去の1点における出来事ではないからです。「きっかけ」に引きずられるならその糸をほどいてやればいい。そのための過去世情報だったり心理学的手法だったりなわけです。

今の自分が嫌なら今までと違う行動をこれから積み重ねればいいだけ。その先には違う自分がいるはずだから。
少女の場合も心を閉ざしたまま人生を終えたのが問題で、だから次の人生でもそこをやり直す形となりました。もし行動を変えられればその後が変わったはず。でもできなくても次の人生でまたやり直せます。

エネルギーワークをすれば必ず出てくるであろう過去世情報。上手に使ってより良く生きるのに役立ててください。
もし今、過去と同じ状況(問題)が展開されて困っているのであればそれは、やり直す機会を与えられているのだと思いますよ。

その他、過去世情報でつまづきやすいことについてはこちら。
過去世の情報

闇に生きた少女

10年前、ホメオパシーのセッションを受けて自分を解放していく段階でとてつもない恐怖を感じました。
「地獄の門が開く…」

自分の心の奥底にある深い闇に切り込もうとしていました。強い恐怖を感じるけどそれをしなければ自分を変えることはできない。だけどこれを開けば世界が崩壊する…そんな恐怖です。
そして実際、開いてみたら何もなかった。そう、何もないただの暗い空間、虚無の世界だったのです。

私は何を恐れていたのだろう。何があんなに怖かったのだろう。空っぽの空間なのに。

その後、エネルギーワークも利用するようになり、その暗闇を完全に手放すことができました。その話をしようと思います。

それは過去世において幼い少女の絶望が作り出したものでした。真っ暗で何も見えず何も聞こえず何も感じられない、暗闇。心の暗闇に関連する過去世はいくつかありましたが(例えば中央アジアの少女)、全ての始まりはここでした。

少女は孤独でした。そして人間に憤怒し、この世界に絶望していました。人生を呪い、母親を、人間を、憎んでいました。その年からずっと一生を、心を闇に閉じ込めたまま生きたのです。そのきっかけとなったのがこれ。
少女にとって唯一心を許せる存在、それが1匹の子犬でした。私のガイドだったオスのハムスターと同じ魂だったのでまさに魂の片割れ。拾ってこっそり納屋で育てていたのに母親のせいで子犬は連れて行かれ、殺されてしまいました。それ以来ずっとです。

私は少女の横に立ちました。
少女の望みは何か。それは子犬に会うことに違いありません。それが叶えばこの状態から開放されるはず。子犬は少女の横にいました。
しかし子犬が少女にぴったりくっついて寄り添っているのに、少女は私にも子犬にも気付きません。心を完全に閉ざしているから何も感じないのです。

「顔を上げてごらんよ」
私は語りかけました。
「ここにいるよ。ぼくはいつも君の横にいるよ」
子犬も語りかけました。

少女は初めて顔を上げ、周りを見、隣に子犬がいることに気付いたのです。何百年ぶりかに。
「ぼくはずっとここにいたよ。いつだってそばにいたよ。どんな時も君と共に在ったんだ。君が気付いていようといまいと、ぼくはいつだって君と一緒だ」
少女は子犬を見て泣きました。
「やっと会えた、やっと会えた。ずっとそばにいたのに気付かなかったなんて…」

そして子犬の向こう側に沢山の動物たちがいることにも気付きました。彼らも少女をずっと見守ってきたのです。だけど心を閉ざしていた少女には見えなかったのです。
きっとね、更に遠くを見れば動物たちの向こうに沢山の人がいたはずなんです。当時の私の力ではそこまで誘導できなかったけど。沢山の人間が見守っていたはずなのです。

何度かの試行錯誤の末、こんな風に囚われたままの過去を開放することができ、自分の中で納得がいったことで、今の自分の感覚が変わりました。よほど強く心を囚われていたのだと思います。長い間、何度生まれ変わってもそれを引きずっては失敗を重ね、それでも生まれ変わるたびに少しずつ手放す経験をしていって今に至るのでしょう。

で、なんでこんなことを書いているかというと、1人の友人が同じような暗闇に閉じこもってしまったからです。もう友達の声も届かない、動物の言葉も聞こえない、多分何も感じない。恐怖や不安や悲しみといった己の感情と向き合うことから逃げてしまったが故の暗闇です。感じることを拒絶し、全てを遮断した空っぽの暗闇。寄り添う者の思いは届かない。寄り添う者がいることすら気付かない。絶望的な孤独。

自分で閉じたものは自分にしか開けられません。この人生で向き合うことができなければまた次の人生で繰り返し同じ問題に直面することでしょう。
彼女は過去世から同じことを繰り返してきています。だけどいつかは(ずっと先の遠い未来?)感情と向き合う覚悟をしてくれると信じ、次もまた友達になると思います。だって彼女が好きだから。

「いい加減、そろそろクリアしてもう終わらせてくれよ」と思ったこともあります。
でもまあ、私だって同じ失敗をしたわけだし。記憶に無い過去にだけど。それに乗り越えるまで随分かかったし、もしかしたらかつては立場が逆だったかもしれない。だからその状態を否定はしないし、理解もできます。
ただね、他者を批判してこき下ろして己の尊厳を保とうとする今の状態には付き合えないんだ。

待ってるよ。次の人生でも。この人生で道を修正できるなら尚いいのだけど。

おまけ情報。
過去世の情報を今に活かす考え方についてはこちら。
過去の情報を現在に活用する

尚、次の記事では過去世情報を扱う上での注意点に触れてみたいと思います。